「ロシアの村上春樹」という例のあれについて

時すでに2018年春。もはや脈絡もタイミングもあったものではないけど、それでもわたしは「ロシアの村上春樹」というやつについて一言申し述べておきたいのであります。

ヴィクトル・ペレーヴィンといえば、『宇宙飛行士オモン・ラー』『チャパーエフと空虚』など、ロシアの現代作家のなかではもっとも多く邦訳が出ている作家のひとりで、『青い脂』や『ロマン』で一部海外文学ファンの心をガッチリとつかんだウラジーミル・ソローキンなどと並んで、日本でもそこそこの知名度を得ている。得ていてほしい。

わたしも好きで読むのだが、以前どこかでペレーヴィンの話題になったとき、「彼って、ロシアの村上春樹だとかいいますよね」と話をふられたことがある。この評価けっこう広まっているようで、たとえばツイッターで検索をかけてみても、ペレーヴィンってロシアの村上春樹なんでしょという人をちらほら見かけるし、そのせいで読む前からペレーヴィンを敬遠してしまう人すらいるようだ。端的にいって両者は無関係な作家なので、ペレーヴィンの話になると自動的に村上春樹の名前がくっついてくるというのは、どうも引っかかるところがないではない。

そもそもなぜ日本でペレーヴィンが「ロシアの村上春樹」などという、〈戸越銀座〉とか〈北陸の小京都〉みたいなせつないニックネームで呼ばれることになってしまったのかというと、これは早くからペレーヴィンに注目し翻訳を手がけた群像社がそういうキャッチフレーズで売り出したからである。邦訳作品巻末の作家紹介やカバーの折り返し部分を見れば、そこには堂々と「ロシアの村上春樹」の文字が印字されている。

まず大事な点。ロシアでペレーヴィンが「ロシアの村上春樹」と呼ばれているという事実はないといってよい。理由は単純で、村上春樹がロシアで有名になったのがペレーヴィンより後だからだ。ペレーヴィンが最初に自作を公にしたのは1989年で、ロシアの読者に広範に知られるようになっていったのが1991年の短編集『青い灯影』(日本では『眠れ』『黄色い矢』に分かれて収録)や1992年の『オモン・ラー』によってである。一方の村上春樹だが、新潟で通訳として働いていたドミートリー・コヴァレーニン氏が『羊をめぐる冒険』のロシア語訳を作るも、当時のソ連崩壊直後の経済難のなか、現地では知名度のない外国の作家を出版しようなどという奇特な出版社が現れるはずもなく、しかたなく海賊版としてネットで公開したところ、それを読んでいたく気に入ったある富豪が資金援助を申し出、めでたく出版となったのが1998年。こうした著作権なにするものぞという気概(?)のおかげで、ロシアにおける春樹人気はいまも続いているといっていいと思うけれども、それはともかく、98年時点ですでにペレーヴィンはロシアを代表する気鋭の作家として認識されていのであって、村上春樹が「日本から来たペレーヴィンっぽい作家」と呼ばれることが仮にあったとしても、ペレーヴィンが「ロシアの村上春樹」と呼ばれる理由はない。

じゃあいったい、日本でペレーヴィン村上春樹と関連づけて語ったのはだれなのか。じつは「ペレーヴィン=ロシアの村上春樹」説の発生源ははっきりしている。『チャパーエフと空虚』の訳者三浦岳=『オモン・ラー』の訳者尾山慎二氏のインタビューを見てみよう。下が、インタビュアーの「一般読者の感想もたくさん目にしました。"ロシアの村上春樹"というキャッチコピーも大きかったんでしょうか」という問いかけに対する尾山氏の返答である。

略歴にさらっと入れただけですけど、意外に広まりましたね(笑)。沼野充義先生がペレーヴィンをうまく説明するための比喩としておっしゃっていたのを使わせてもらったんです。SFやファンタジーっぽいテイストもありつつ、文学として評価されているという意味だったと思います。

このように尾山氏は、東京大学教授でロシア・東欧文学の専門家である沼野充義氏の口から聞いて採用したと述べている。

沼野氏は1996年にペレーヴィンの短編「聖夜のサイバーパンク、あるいは『クリスマスの夜-117.DIR』」の翻訳を雑誌『新潮』で発表するなど、ペレーヴィンをいち早く日本に紹介したひとりで、2001年にペレーヴィンをはじめとするロシアの現代作家たちを東京大学に招いた講演会も企画している。そんな沼野氏だから、当時そこかしこでペレーヴィンについて話をしていただろうし、尾山氏がそれをどこかで耳にするのは自然なことである。

沼野氏が口頭でどのようなことをいったのかは知りようがないのだが、かわりに氏が2001年にペレーヴィン村上春樹を比較した文章が残っている。「ペレーヴィン、アクーニン、 村上春樹 : 純文学と大衆文学の間の『空白』を埋める作家たちについて」(原文ロシア語)というもので、中身をひとことでまとめるなら、ロシアにおいてペレーヴィン(とかアクーニンとか)が果たした役割が、日本において純文学/大衆文学という垣根を破壊した村上春樹が果たしたそれに似ているというものだ。この指摘自体にはうなずける部分がある。

このなかで沼野氏は両者の作風の類似にも言及している。たとえば『チャパーエフと空虚』と『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に共通するパラレルワールド的設定について。それまでのロシアでは、いわゆる純文学(ソ連期でいえばソルジェニーツィンみたいなの)に比べると、SFとかファンタジーはジャンル小説として一段低く見られていたが、ペレーヴィンはそういった要素を果敢に取り入れて独自の物語空間を作り上げた点が高く評価されたのだった。

とはいってもまあ、ふたつの世界を行ったり来たりする物語の構造が両者の発明というわけでもないし、ふたりの関係を証拠づけるクリティカルな発見とまではいいづらいだろう。要するに沼野氏の話というのは、「ペレーヴィンという作家は、まあそうですね、日本でいったらさしずめ村上春樹ぐらいのポジションでしょうか」といった軽い紹介の域を出ないもので、尾山氏のいうとおり「比喩として」ふんふんと聞いているぶんには問題ない。しかしこれが訳書の著者紹介に「ロシアの村上春樹とも称される」と印刷されて出回ってしまうとなると、多少話がややこしくなってくる。研究者やロシアの読者のあいだでそういった評価がすでに確立しているのかと、事情を知らない読者ならば思ってしまう。

わたし個人としては、たとえばだが、新刊の帯に1回限りの宣伝文句として「ロシアの村上春樹、上陸!」と銘打つぐらいにとどめておけばよかったんじゃないかと思う。読者が作家の人となりを知るために、専門家の知見と見なして参照する作家紹介に、さも一般に広く認知されている事実であるかのように書き込んでしまったのはあまりいいことではなかった。現にそうした文言を目にした読者が、これはいったい誰がどこで「称し」てるの?という疑問を抱くという事態が発生してしまっている。わたしはいちロシア文学好きとして、群像社のお仕事には感謝してもしきれないくらいなのだが、それとこれとは話が別だ。

村上春樹はロシアでもかなり売れており、ペレーヴィン村上春樹のことを当然認識している。インタビューでは注目する作家として名前を挙げているし、作品にちらっと名前が登場したことすらある。だが、それは同時代の作家としてピンチョンやウエルベックを認識しているというのと大して変わらないレベルで、それ以上のつながり、作風の影響がどうとかいうことはあんまりなさそうだ。わたしは村上春樹も好きで読むので、ペレーヴィン村上春樹と並べられるなんて許せない!という動機でこれを書いているわけではない。批評文のなかでペレーヴィン村上春樹が並べて論じられることに意味がないとも思わない(さきほど紹介した沼野氏の文章は、ロシアと日本の文学が似たような道筋をたどっているという、ひとつの分析としておもしろい)。単純に、今となってはどこで誰にいわれているでもない「ペレーヴィン=ロシアの村上春樹」なる評価が、今後も既成事実のように語られ続けるならそれはちょっと気になるという話である。

ちなみに、ペレーヴィンの解説でお目にかかる「ターボ・リアリズム」というのも、近ごろはほとんど聞かない単語になった。これはペレーヴィンなど当時の新興の作家たちが自分たちの作風を形容するタームとして用い、けっきょく定着しなかっただけのもので、文学史的にはあまり意味のない単語になっている。ペレーヴィンの初期作品の解説は、覆面作家と呼ばれたペレーヴィンに関する情報がロシア本国ですら少なかったころに、訳者の方々が苦心して書いたものなので、今見るといくらか不正確な部分もある。そう考えると「ロシアの村上春樹」という紹介のされかたも、当時の情報不足に起因するところはあったかと思う。近年東海晃久氏が訳した『ジェネレーションP』と『汝はTなり』の解説を読むとアップデート済みの情報が得られるので、現時点で参考にするならそちらをすすめたい。

というわけでみなさん、ソローキンもいいけどペレーヴィンも読んでね。