ペテルブルグでイリヤ・カバコフの展覧会をやると人に聞いた。カバコフの創作の中心を占めるインスタレーションというやつは、必要とされる展示規模の大きさから、常時美術館にあって気軽に見に行けるという類のものではなくて、この機を逃すと今度見られるのはいつになるか分からない。わたしがモスクワに滞在している間はモスクワではやってくれなそうだったので、まあせっかく薦めてもらったし、と覚醒剤に手を出すくらいの軽い気持ちでペテルブルグ行きの列車を予約したのであった。
"В будущее возьмут не всех"、「皆が皆、未来に連れて行ってもらえるわけではない」展。ユートピア行きの列車に乗りそびれた人たちの話。
有名な「アパートから宇宙へ飛び出した男」。こういう人にわたしもなりたい。
朝起きたらアパートの鍋たちが舞っていました。
捨てられないゴミたち。
カバコフの母の生い立ちを題材とした「迷路」。
天使に会う(「プロジェクト宮殿」)。
「自分をより良くする方法」
「赤い車輛」。
カバコフについては専門的な知識を持たないので、詳しい解説は日本語の関連資料に任せたいところだけど、素人の感想として彼の作品は、ソ連の全体主義的イデオロギーへの茶化し、「褒め殺し」*1的なユーモアを主題としつつも、自らが長い時間を過ごした時代への、感傷的なまでの愛着を隠さない。モスクワで他のコンセプチュアリズム(ないしソッツ・アート)の芸術家たちの展覧会を見たり、あるいはソローキンの初期作品を読んだりした印象では、彼らの作品はどこか一発芸ないし大喜利的なノリを携えていて、見て一発目の衝撃をかなり重要視しているように思えたものだ。そのあたりがある種の批評家たちに、コンセプチュアリストたちは破壊だの転覆だののことしか考えていない(大意)と批判されたりする所以なのだろうけど、しかしコンセプチュアリズムの領袖たるカバコフの作品がそもそも、有名なゴミをテーマとした作品からも分かるように、用済みの過去をゴミとして捨て去ろうにも捨てきれない割り切れなさのようなもののために作られ続けているといってもいいわけで、「コンセプチュアリズム」もそう十把一絡げにはできないだろうと思う。「共産主義を復活させようと思う者には頭がない。共産主義を惜しまぬ者には心がない」などとうまいことを言ったのはロシア大統領プーチンだが、こうした頭と心の齟齬について、芸術の側からもっとも適切な回答を与えたのがカバコフという人なのだろう。
〇参考資料
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/kabakovI.html
鈴木正美「モスクワ・コンセプチュアリズムの美術」
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/sympo/Proceed97/suzuki.html
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