確かめたのなら伝説じゃない

私は、何やら黒くて軟らかく、ねばっこいものを食べたのだが、しかし、それが何であるかわからなかった。*1

 

『ゴンチャローフ日本渡航記』より

由あってゴンチャロフの『日本渡航記』を読んだ。ゴンチャロフの『日本渡航記』を読まねばならない"由"とはいったいなんであるか?詮索は野暮だねえ。

現在書店で新品を手に入れられるのは岩波文庫版のみだが、1941年(独ソ戦始まっぞ)の翻訳の再版で、翻訳が古いだけならまだしも活字が古く、文字の印刷がザラザラで非常に読みにくいので、私は品切れ状態の講談社学術文庫版の古書を2000円出して買った。偉すぎる。岩波文庫、なんたる殿様商売!(ゴンチャロフ風)

とはいえ、ゴンチャロフの翻訳なんてものを継続的に出してくれるのは岩波だけなので、そこんところは目をつぶるしかない。目をつぶっていても勝新太郎なら戦える。また岩波版には、講談社版には収録されていない香港パートと上海パートが載っている。一方講談社のほうは学術文庫を名乗るだけあり註は明らかに充実しているので、日本側の記録も併せて読むならこっちである。どっちにも興味がないならどっちも買わなくていい。

この『日本渡航記』は、1847年に『平凡物語』を著し作家としての地位を確立したゴンチャロフが1852年から55年にかけて、むしろ日本史選択の人間にとってなじみ深い外国人ことプチャーチン提督の書記官として世界周遊をした際の記録『フリゲート艦パラルダ号』から、日本関係のパートだけを抜き出して訳したものである。『フリゲート艦パラルダ号』は発表当時(1858年)のロシアでは大変な人気を博したらしい。ゴンチャロフの書いたものの中では分量も多く重要な位置を占めるそうなので、いまだに全訳がなく、既存の訳も読みやすいものが手に入りづらい状態であるのは残念と言えば残念なのだが、正直日本パートを読んだ限り、すべて訳したとしてすべてがこの調子なら、面白がって読むのは相当の趣味人しかいないのではないかという印象を受けた。

なぜかというとこの『日本渡航記』、読み物としてはさしてエキサイティングではないからである。ゴンチャロフ一行が長崎に国境画定&通商開始の交渉のため寄港したのち直面するのは、上陸できるのかい!できないのかい!全権は江戸からいつ到着するんだい!交渉はいつ始まるんだい!という数か月に及ぶ押し問答で、外国人が自由に行き来できる余地などなかった鎖国状態の日本の様子が大作家の目を通じて事細かに描かれることは残念ながらない。講談社版では第2、3章を占める長崎パートを挟む第1章の小笠原諸島パートと第4章の琉球パートはかろうじて旅行記然とした体裁を保っているし、当時の人間にしてみれば大冒険だっただろうなあとしみじみ読んだが、長崎パートはほぼパラルダ号乗員たちの船上での日々の暮らし、交渉のため船を訪れる日本の役人たちの印象(ほぼ悪口)、交渉の様子(ほぼ愚痴)の記録でしかない。

船を訪問してくる人間たちとの限られた交流の中から紡ぎだす、日本人や日本の文化習俗に対するゴンチャロフの批判は、核心をついている場合もあるし、お粗末な思い込みでしかない場合もある。とにかく上にお伺いを立てないと話が進まないというか、日本側の役人が、全権であっても江戸で命令されたこと以外には答えられないんですみたいなことを言うシーンでは、ゴンチャロフたちに同情の念が湧いてしまう(こういう風習、いまだに日本企業に残ってそう。一度本社に持ち帰ります的な)。後者については今になって責めても詮無い。詮無いというのは責めるべきではないという意味ではなく、確実に勝てる勝負を挑んでもしょうがないという程度の意味である。当時の人種観なんてそういうものだろうとしか言えない(日本側もロシア人に対する侮蔑感情があったことを講談社版の解説は指摘している)。

ただひとつ言うとすると、ゴンチャロフの見解はそれが侮蔑であっても良くも悪くも常識的で、書いてあることといえばせいぜい、ガラスないから壁に紙張ってる、かわいそ……棒で飯食ってる、あほくさ……レベルの話なので、あまり悪口としては冴えない。「日本の男たちは6本の腕で独特の曲刀を振り回し襲いかかってきた……」とか「日本の女たちの淫らさといったら限りがなく、我々は職務を忘れ日々淫蕩に耽った……」とか書いてあるのなら、我々日本人としても「応よ!」と喜んで反応するのだが。もちろんちょくちょく褒めている箇所もあるが、外国人が見た日本のいいところ!みたいなものを期待して読む本ではない。

私個人の好みに照らして本書で精彩を放っていた部分は、交渉に先立つ会食シーンだ。やっと日本の大地に降り立って、目新しい物好きらしいゴンチャロフの筆もここだけは活躍しがいがあったものと思われる。講談社版では註として会食時の実際の献立が収録されているのだが、しかしまあこれを当時のロシア人に食わせて喜んでもらえるとは思えない。ゴンチャロフはメンバーの中では比較的異国飯に興味も耐性もありそうに見えるが、それでもやはり苦労はしたようだ。やっとおいしそうな鯛を見つけて手を伸ばしかけたゴンチャロフが、それはお持ち帰り用ですと注意されるシーン*2は涙なしには読めない。食わせてやれよ。

このへんの雰囲気を手っ取り早く知りたい人は、我らが(?)沼野恭子先生の『ロシア文学の食卓』(有難きことに最近復刊)をお読みになるといい。ゴンチャロフオブローモフ』を扱った章で、この『日本渡航記』の食事風景についてもほんのり触れられている。

それにしても、(まるで理由がないわけではないにしろ)ここまで下に見ていた日本と、ちょうど半世紀後にロシアが戦って大きな打撃を受けるとは、まさかゴンチャロフも想像できなかっただろう。50年あれば世界はまったく別の様相を帯びてしまうのである。

そういえば『日本渡航記』では「通詞」と呼ばれる通訳侍たちの様子が詳細に描かれているので、外務省で通訳とかしてバキバキ働きたい!という強い意志を持った若人などは、150年以上前の若き外交官たちの活躍(と苦労)を眺められるという意味で本書を面白く読めるかもしれない。この時代に、領土交渉のような一触即発の込み入った内容を通訳することの困難さは想像するに余りあるので、両陣営の通訳たちの努力に対しては本当に敬意が湧いた。歴史に埋もれる名もなき人々に正しい名前を与えることが、優れた作家の仕事だ。

*1:イワン・A・ゴンチャローフ『ゴンチャローフ日本渡航記』高野明・島田陽訳、講談社学術文庫、2008年、279頁。

*2:同上。