自分の命の存在が外国に行っていない

2022年の年明けてちょっとしたくらいに珍しく父から連絡があって、「大学時代にサークルでお世話になった先輩がロシアについての本を出した。買うとよい(私はもらったが)」とのことだった。そっちはもらったんかい。

私は孝行が脂質とタンパク質をまとって歩いているような人間なので、親にそう言われたために買った。そして今日読み始めて読み終えた。すぐ読める。読むとよい。読み始めたら、著者がソ連に向けて旅立つ際の船を撮影した写真の下に、私の父の名前が提供者としてクレジットされてて笑ってしまった。見送りに来た「大学の放送研究会の仲間たち」の中に父が混じってたのだと思うが、よく50年前の写真など取っておいたものだ。

これは1973年にロシアに渡り、モスクワ放送の日本向けラジオ放送のアナウンス&番組制作に丸10年携わった方の自伝である。有体に言えば知らない人の海外赴任&国際結婚エピソードなので、ロシア(ソ連)に興味がない人にとってはどうでもいい話なのかもしれないが、ブレジネフ期のソ連の内側をこれだけの濃度で見続けて報告した本というのは案外少ないように思うので、私としては興味深い描写が多かった。日本から持って行ったビートルズの「バック・イン・ザ・USSR」のレコードを番組で流し、ロシア人の同僚には好評だったが責任者にひどく怒られた話であるとか、当時住んでいた外国人専用アパートでハンガリー人やチェコスロヴァキア人とともにクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を聞きながら夜通し飲んだというエピソードなどは、なるほどユルチャク『最後のソ連世代』やセレブレンニコフの『LETO』などと地続きの世界だ。『最後のソ連世代』の邦訳の表紙にもなっている「肋骨レコード」(レントゲン写真に使われたフィルムを再利用し、当時公的には流通していなかった音楽をプレスしたもの)にまつわるエピソードもある。

それはそうと、これくらいの年代の人ってロシア人含むスラヴ系の女性に対して手当たり次第に「美人」という評価を与えることが多い印象がある。なんかよくわからんが、憧憬の対象みたいなところがあるのだろうか。学生のときに通っていた床屋の、もう爺さんと呼ぶべき年齢のカッターが、私がロシア語を学んでいると知るや「いいねえ、ロシアの女の子は美人だからねえ、キヒヒ」と言いながら私を角刈りにしていったことをいまだに憶えている。辟易して行くのをやめた、と言いたいところだが、安かったのでその後も同じ床屋に通って同じ話を聞かされ続けた。ありがとう、理髪店白虎。

著者がどういった思想的背景を持っていたかについては詳しく語られてはいないが、渡露時はロシア語などまったくできない状態で飛び込んだそうだ。本書を読んでいると、下手に対象国に強い憧れや生真面目な思い入れがあるより、行ったら行った先で適当に何とかするという根性と気概があったほうが、語学の上達も速そうだし海外生活はうまくいくのかもしれないと思える。たぶん著者はマスコミ関係者的な「陽キャ」気質で、著者が「小さな地球」と呼ぶほどに多国籍な住人を抱えていた外国人用アパートでの暮らしはかなり楽しそうに描かれていて、うらやましくなくもない。私は学生時代にすらそういうかけがえのない留学生活みたいなものを送れはしなかったが、とはいえ仮に私が同じような状況に置かれたとしたら、確実にひとりで小さな世界に引きこもってウォッカの海に堕落の船を浮かべていたことだろう。

題名に掲げた「自分の命の存在が外国に行っていない」は、本書のあとがきに出てきた表現で、なぜこんな直訳文体なのかと訝しみながらも、ぎこちなさが逆に醸す妙味というものがあり印象に残ってしまった。そう考えると、私の命の存在も最近ぜんぜん外国に行ってないので、命の存在ごとまたいつか外国に行きたいなと思っている。でも海外では家系ラーメンが食べられないのが悲しいなと思っている。永住するならパンより麺がうまいところがいいなと思っている。でもロシアではビールやバターは日本より格段にうまいし種類豊富なので難しいところだなと思っている。ただまあそもそも海外に長期滞在するチャンスなど当分訪れないだろうし、『ベルリンうわの空』でも読んで歯ぎしりするほかないなと思っている。*1

*1:思い出したので追記。モスクワ放送の同僚として登場する「ガリーナ・ドゥートキナ」さんって、この本の著者ですよね。『夜明けか黄昏か~ポスト・ソビエトロシア文学について』https://gunzosha.cart.fc2.com/ca9/209/