ドゥーギンおよびドゥーギナの件に寄せて

ロシアの右派思想家アレクサンドル・ドゥーギンの娘で、哲学者・ジャーナリストのダリヤ・ドゥーギナ氏が、現地時間20日21時過ぎ、父子で参加したイベントからの帰路に自家用車に仕掛けられていた爆弾により亡くなったそうだ。

「誰がやったのか」という最大の謎については、現時点ではなんの確実な情報も出てきていないので、論及は差し控えたい。ただ仮に彼らが悪質なプロパガンディストだったとしても、裁かれるべき点があるならそれは車上でではなく法廷でというのが原則だと思うので、今回の件を肯定的にとらえることは当然できない。ひとつ重要だと言えるのは、かなり過激だったとはいえ明確にロシアの現体制を支持する側であった思想家とジャーナリストが、首都で命を狙われた(そしてそれが一定程度"成功"してしまった)という事実だ。ロシア国内でも、今般の事態が次の段階に移行しているのかもしれない。

どんな形であれ人が亡くなったことをきっかけに、無関係な私が個人的な話をし出すのも大変不躾だとは承知しているが、とはいえ以前、ドゥーギンと現代ロシア文学(ペレーヴィン)の関係について少し文章を書いたということもあって、今回の件は非常な驚きをもって受け止めた。もっとも私がその文章を書いたのは、ソ連時代の非公式文化の内部でオカルトや神秘主義思想にハマっていた知識人たちが、ソ連崩壊後どういった経緯で体制を支持するナショナリズム思想を形作っていったのかという興味からであって、ドゥーギンが現代ロシアの政治決定にどの程度影響を与えているのかという点については関心の埒外だったし、それを分析できるだけの知識もなかった。したがって、現在のウクライナ戦争との関係からドゥーギンを知りたいという方には私の論はあまり役に立たず、どちらかというと浜、小泉、乗松、廣瀬といった諸先生方の論考を参照されたほうが良いように思う。海外のものだとヴァイス『ドイツの新右翼』も重要だろう。クローヴァー『ユーラシアニズム』については、だいぶ昔ある同人誌に書評を書いたことがあるが、「読み物としてはとても面白いけど内容については精査が必要」と評価したと記憶している。

2022年2月24日の開戦直後、ドゥーギンの「問題はウクライナの解放だ」という文章(ロシア語。厳密にはインタビューの書きおこしのようだが)がネット上で発表されていた。

ウクライナは2014年にはすでに崩壊を始めていました、積極的な衰退をです。そしてそんな時期に道化を選出する。ちょっと人を楽しませるためにでしょうか?その道化は活動を続けています。彼らはバーチャルな文化の世界に属しているんです。SNS上での嘲笑、懐疑的な批評は何にも影響を与えないし何も規定しません。彼らをあざ笑う必要はありません。これは私たちの兄弟であって、したがって彼らは我らと同じく勇敢で、我々の民族の一部なのです。だから、思うに、彼らに対して敬意をもって接するべきでしょう。たとえ我々がバリケードのこっち側とあっち側にいる時でさえもです。「投降しろ、犬ども」ではなく、「兄弟よ、わかってくれ、これは俺たちの戦争じゃない、我々は権力からの自由と独立を支持しているんだ、ただこの道については、我々大ロシア人のほうがよく知ってるというだけのことだ。そして我々はあなた方を我々の帝国に組み入れよう。作ろうじゃないか、ふざけた、ヒステリックな政府ではなく、真面目なそれを」という言葉を。

「これは俺たちの戦争じゃない」「権力からの自由と独立」という部分に彼の思想がよく表れている。2014年のクリミア侵攻直後からドゥーギンはロシアによるウクライナへの攻撃を、「アメリカによる一極支配体制の拡張 vs ロシアをはじめとする多極体制の反抗」という構図で説明しているからだ。世界全体を巻き込む「一」対「多」の戦いにおいてウクライナは「歩(ポーン)」でしかないと言い切る彼は、端的に言って住んでいる世界が違うんだなあという印象であるが、そうした世界観は、1990年代初頭から一貫して彼の発言に浮かび出ているというのが私の書いた文章の内容であった。佐藤優の自伝に登場していたことでその筋では多少名の知れているアレクサンドル・カザコフも似たようなことを言っていたので、ロシアの右派の中ではある程度共通の認識なのだろう。『ドイツの新右翼』で指摘されていたことだが、現代のヨーロッパの右翼は、リベラルの言説をハックして、むしろ自分たちのほうこそが真の多様性を体現しているのだ、的な物言いをする。アメリカの「一極」対ロシアその他の「多極」というのもそうした戦略のひとつに数え入れられるだろう。なかなかややこしい問題である。

その後のドゥーギンの発言についてだが、SNS「Telegram」などでは日々あまりに大量の情報を発信していて、しかも基本的に上のような論旨なので、精神的に疲弊しそうで実はあまり追っていない。一昨日の事件以来、更新は止まっているが。今回の事件の一番の被害者はもちろんダリヤ氏のほうだし、彼女は彼女で博士号を持つ知識人として己の責任で発言してきた人物であるので、父であるドゥーギンのことばかりクローズアップするのもどうかとは思うが、現在私の手持ちの知識から備忘のために文章をまとめようとするとこうなってしまった。ご寛恕願いたい。Нет войне.