おっさんが花譜聴いて悪いか、なあ? 金麦買ってきてくれ

どこにいたの 生きてきたの

遠い空の下 ふたつの物語

中島みゆき「糸」より

飛行機ではじめて、乗客の脱出を補助する必要のある席に座った。

CAから説明を受け、自分の仕事を理解する。使命感に満ち溢れる。結局事故らしい事故は起こらなかったが、にもかかわらず私は勇気をもってドアを開け放ち、乗客全員を速やかに機外に脱出させることに成功した。みな、怪訝そうな顔をしながら空を駆け下りていく。

 

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宇宙空間では食の好みが変わるらしいと聞いたことがある。宇宙に長期滞在している飛行士たちは、普段より濃い味の食事を好みがちになるのだそうだ。それが本当かどうか、すぐに確かめることはできないが、少なくとも飛行機に乗って地上数千メートルの高さに宙吊りになっていると、目の前のものに対してちっとも食欲が湧かなくなるので、さもありなんと思う。

となると空では、ひょっとしたら、音楽の好みも少しだけ変わっているかもしれない。地上にいるときよりチャカチャカした音楽を聴きたくなる気がする。私の場合、ストレスのかかる長時間のフライトでは始終すこしだけイライラしていて、そのイライラを上書きしてくれる何かを求めている。単に飛行機が鳴らす騒音が大きくて、静かな音を聴きとりづらいだけかもしれない。

前回カザフスタンに行ったときは、ずっとパスピエの「化石のうた」を聞いていた。あれは、曲の中で何が試みられているのか素人には理解できない。ともあれ、化石燃料で潤う国に向かうにはぴったりの曲だ。


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今回機上では花譜とか理芽とかを聴いていた。このふたりの声の違いが私にはちっとも分からない。これは「お母さんはゲーム機のことを全部ファミコンと呼ぶ」現象とは異なる。声質が似ていることをプロデュースする側が認めている。ただいずれにせよ分からない。彼女たちの声は、若者の心にだけ突き刺さるように設計された美しきモスキート音のようなものではないのか。こうした歌手たちの曲を、30過ぎたおっさんが聴いていていいものかどうか。社会的な合意は取れているのか。そもそもおじさんが「かふ」と言われて思い浮かべるのは「寡婦」ではないのか。というか世間一般としてそうではないか。

花譜に「糸」という曲がある。糸と言って連想するのは、我々世代にとってはほかでもない、中島みゆきだ。しかし今の中高生にしてみれば、中島みゆきなど存在しないも同然。「糸」といえば花譜、そういう時代が訪れたのである。ここに決定的な断絶が生じた。


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では「糸」は何を歌っているのか?

ほつれかけてた純情を今
まさに君が紡いでしまった

花譜「糸」より

なるほど、禿同である。中年男性の純情こそほつれかけているからである。社会的合意など知らない。俺にこんな振る舞いを許す社会が悪い。おっさんに聞かれたくない大切な歌があるなら全力で守ってみるがいい。

花譜、「若者ってこういうの聴いてるんでしょ?」とおっさんに勘違いさせるための存在である可能性、十分にあります。