この春小学校に上がった甥がいて、すでに述べたとおり小1なので、つい先日生まれたばかりのような気がしていたのにあっという間に6年の月日が経っており時の流れすごい早い。この6年の間、みなさんの若さのうえにもきっちり6年分の無慈悲な雨が等量降り注ぎ、失われるべきものは等量失われました。
『カモン カモン』は、ホアキン・フェニックス演じる中年の独身男(独身・フェニックス)がちょっと落ち着かない性格の9歳の甥っ子の世話をすることになるという映画で、個人的には、つい先日会ったら既にやたらと言語を通じた自己主張をするようになっていた甥のパワフルさを思い返しながら見ていた。ちょっと前に『JOKER』で悪意をまき散らしていたホアキンが子供に翻弄されてほあほあしている状態を楽しめるだろう。子供の世話を本格的にすることになる予定も悲しいかな当分ないのでアレだが、ただいま絶賛子育て中の人は見たら良い意味で「くる」ものがあるのではないだろうか。そう思って姉には薦めた。
とはいえ、スクリーン上に映し出されるものすべてが善意から出て善意に帰っていくような構成には、若干の息苦しさも感じる。おそらくそれは晴れの日ばかりの国に住むようなもので、そこが南国のパラダイスなのか乾いた砂漠なのかは、見る者の心掛けに依る。
最近劇場で見たといえばロシア映画『チェルノブイリ1986』で、あまりにもタイミングが悪すぎる公開時期に、いかにロシアのせいとはいえ不憫さも感じた。平日に見たという点を差し引いても客がわたし含め5人。
日本でもアメリカでもあるいはほかの国でも、近過去の史実を都合よく切り貼りした感動ストーリー・英雄譚みたいな映画は山ほど作られているので、『チェルノブイリ1986』だけをロシアのプロパガンダとして責めるのは酷というものだろうが、とはいえだいたいそういう映画って、「禊が済んだ」と見なされる過去を題材に作られるものではないか。というか逆に、そういった映画を撮ることなどを通じて過去が「歴史」へと昇華されるという順序なのかもしれないが、いずれにせよ、今まさに起きている争いの中で、軍事戦略上の要衝として占領したしないと話題になる場所をテーマに(ロシアだけを制作国として)作ったというのは、迂遠な言い方をすると、勉強になるッスという感じではある。
エンディングテーマに採用されているアーラ・プガチョワの"Мы в этой жизни"という歌は良いなと思って apple music で聴いている。こういう歌詞に表現されるロシアの無常観みたいなものは、やはりどうも日本の土壌でも受け入れられやすそうだ。プガチョワの曲が採用されたのは、どうやら事故直後、彼女が実際に原発事故被害者の慰問コンサートを開催したという経緯があったかららしく、当時の映像が映画の最後にちらっと差し込まれていた。なるほど、歴史である。