むみんスイッチ

ウォン・カーウァイ花様年華』を見た。

他人の不倫には毛ほども興味がないので見ている間じゅうひどく眠くて、それで思い出したのだが、以前『恋する惑星』を家で見ていた時も眠くてたまらなかった。カーウァイ作品は私の生の奥深くに手を差し込み、そこにあるスイッチを「夢眠」に切り替える力を持っているようだ。

これはムーミンのご先祖様

サービスデーだったとはいえ、新宿の広めの劇場がほぼ満席になっていたのには驚いた。というか、映画館自体が最近稀にみる混雑ぶりで、盛況で何より。ただなんか、いつも見ている映画の客層とはあきらかに雰囲気が違って、熱のこもった20~40代くらいの女性客が全体的に多かった気がするのだが、そういう需要で回っている世界があるのだろうか*1。隣に座っていた女子2人は、明らかに原語が分かっているそぶりがあったので香港の人だったかもしれない。

なぜ夢眠をこらえながら『花様年華』を見ていたかというと、最近香港づいていたからである。『Blue Island 憂鬱之島』『時代革命』を見て非常に面白かったものの、香港のことなんも知らんなと反省したので、香港について学んでいるのである。とりわけ2019~21年頃、私の意識はどこか彼方へと飛び去っていたので、香港のデモのニュースなども私の角膜や鼓膜や横隔膜を上滑りしていったのだと思う。

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これなどには、映画を見て知りたくなったことは大体書いてあった。映画を見る前に読むべきだったのかもしれないが、恋と読書と魚釣りはしたいときにすればよいと一般には言われている。あなたも恋に公的機関の許認可制が導入される前に存分に恋しておくべきだ。

中国と香港の関係は、ロシア-ウクライナの関係とは背景となる歴史も文化も違いすぎるので安易なアナロジーで語ることはできないが、たとえば香港の標準語は中国で広く使用されている言葉(北京語)とは違う広東語で、「香港人」としてのアイデンティティを強く持つ最近の若者は北京語をしゃべらなくなってきており、2019年のデモでもネット上であえて広東語のスラングを多用し中国本土との間に壁を作ろうとしていたという記述などは、言語と政治が最前線で関わっているというか、強権的で文化的にも強い影響力を持つ隣国との関係においては香港とウクライナは似た反応を示しているのかもしれないなと興味深く感じた。

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かつて香港でナショナルの炊飯器がめちゃくちゃ売れていて『花様年華』にも日本の炊飯器が登場する、ということも書いてあった(今日見たら、たしかに出てきた)。あとこの辺は完全に私が無知なのだが、ちょっと前に中国のシリコンバレーとか言って騒がれていた深圳が香港の隣だというのも、これを読んで初めて知った。じゃあ皆さんはヴォログダで生産されているバターがとてもおいしいということを知っているんですか。知らないでしょう。なら私のことも許してほしい。

ここからは本の内容とは必ずしも関係ないので気にしなくていいのだが、『香港とは何か』は誤植*2やそこまでいかずとも推敲が甘い文章が妙に多くて、急いで作ったのかな?と思ってしまった。ちくま学芸文庫というゴリゴリの学術レーベルが同社内にあるからなのか、新書のほうは若干ノリが軽い気がする。そしてここからはちくま新書というだけで思い出した、ほんとのホントに関係ない話なのだが、昔ちくま新書から出ていたあるロシア関係の書籍を読んでいた時、日露交流史上の心温まるエピソードとして「ソフィア・フォン・タイル」という人物が出てきた。ただ、名前がどうもロシア人っぽくないし、記述もあまりに日本人に好意的で逆になんだか引っかかったのでネットでちょっと調べてみたところ、実はそのタイルという女性は実在せず、エリザ・シドモアというアメリカ人女性の創作だったということが判明したことがあった。新書が上梓された当時はタイル氏が実在の人物だという前提で本が出ていて、2005年にやっとアメリカ人女性による創作だと訂正されたバージョンが出たらしいので、まあ新書出版時は確かめようがなかったのかもしれないが、他山の石としよう、と強く印象に残ったのだった。

*1:気になってググったら、BTSが「花様年華」というアルバムを出していたり、同名の韓国ドラマが存在したりすることがわかった。これの影響かもしれない

*2:32頁「香港本位、香港優先、香港第一 Forget China, Hong Kong comes first, comes first.」は、"comes first" がひとつ多いし、原文にも微妙に対応していない気がする。正しくはわからないが、ちょっと調べたところ “Hong Kong has priority, Hong Kong is number one, Forget China, Hong Kong comes first.” という表現は出てきた。37頁「香港大」は「香港人」ではないか。「大」と「人」は形は似ているけどキーボードでは打ち間違えないので、変な間違い方だなと思った。37-38頁「1997年の香港で起きたことは、共同体である香港が、中国から英国に手渡されるプロセスであった…」は、香港の中国への返還のことを指しているのだから、中国と英国が逆ではないだろうか。