「カザフスタンに何しに行くの」と姉に問われる。
本当のことを答える義理はない。厳密に言うと、義理はある(血がつながっているので)が、答えて理解してもらえるかどうかは分からない。
私は少し考えて「カザフうどんを極めに行くのだ」と答える。
「うどんを極めるには、捏ね5年、踏み5年、切り5年、茹で5年の修行が必要だ」と姉は言う。
20年もかからないと極められない料理?そんなものに人は貴重な時間を費やそうと思うものだろうか。度を越えた洗練への要求はときに枷となり、人を人生のぬかるみに縛り付けることになる。なんでこんなことになってしまったんだろう。私はただ、適当に嘘をついただけなのに。
アルマトイ国際空港に降り立つ。タクシーでホテルに向かう。部屋にたどり着き、近くの食料品店で買ったビールの缶を開け、ほっと一息をつく。明日から1週間、異国の地での活動が始まる。どこへ行こう?何を見よう?
<カザフうどんを極めに行くのだ>
ホテルの分相応に広い部屋の隅には、照明の届ききっていない暗がりが存在し、そこから聞いたことのある声がする。
カザフうどん?
それは一体なんだ?