家父長は心配症

カザフスタン滞在中のある日、その日に成すべき用事が済んで時間が空いたので、たまたま見かけた映画館に入ってみた。

どうせ見るなら、わけがわからなくても国産のカザフ語映画がいい。しかし、あまりに意味不明だった場合つらいので、上映時間が短めのコメディを選んだ。『学生コケ』(2024)という。ただ蓋を開ければ(国の仕組み上、考えてみれば当たり前だが)ロシア語の字幕がついていたのでむしろ分かりやすいくらいではあった。日本も広い*1ので、これを最初に見知った日本人が私だなどとは言わないが、日本では100%劇場公開はされない映画だから、紹介しておく意味もあるかと思う。

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ポスターの3人のうちどれが「学生コケ」かというと、帽子をかぶった真ん中のお兄ちゃん、ではない。これは主人公と寮で同室になるモンゴルからの留学生で、「学生コケ」は右のおじさんである。物語は、地方で妻と3人の息子とともに農業を営むこの53歳のおじさんが、一念発起して都市部の大学(たぶんアルマトイのナルホーズ大学の経済学部)に入学する、というところから始まる。

そうなると、このおじさんが勉学に恋に飲み会に、青春を満喫しようと奮闘し、年齢の違いからドタバタが巻き起こるが、次第にみんなに受け入れられていき…といったプロットが期待され、その予想は大きく外れるわけではないのだが、問題は左のヒロインである(ポスターより動いているときのほうがだんぜんかわいい)。同じく新入生であるヒロインは、実は主人公がかつて付き合っていた女性がひっそりと産んだ、主人公の実の娘であり、その女性の死の報せとともに、主人公は成長した娘の存在を知ることになった。主人公は、娘を見守り、なんとかして自分が実の父であることを告げるために大学に入学したのである。一方ヒロインは、父は自分と母を棄てたと思い込み、憎しみの入り混じった複雑な感情を父親という存在に対して抱いている。だから主人公は事実をなかなか切り出せず煩悶する。

あとあと調べたら、「コケ көке」 というのがカザフ語で「父」らしいので、要するに題名は「スチューデント父ちゃん」みたいな感じだ。しかし、無理がある。目的に対し、家業をいったん放棄し大学に入るという巨大な労力を割く必要がまるでない。

本作の面白みは、自分が実の父親であると告白しようと、あの手この手でヒロインやその友達に近づいていく主人公の滑稽かつ意地らしい様を眺めるというところにある。あるのだが、客観的に見ると、53歳の社会人学生が、みんなの人気者の10代の女子大生に猛烈に言い寄ろうとしてプレゼント(iPhoneや肉塊)をしたり手を握ってみたりし、ときに鬱陶しがられ、ときにあまりにあっさりとヒロインの懐に入り込む様子が映し出され続けることになる。だから、(日本がそういう問題に関するセンシティブさを誇れるということはなくとも)日本だとどう考えてもNGでは?みたいなシーンは山ほどあった。娘視点で見て親子関係が明らかでない『お父さんは心配症』のようなものである。アウトではないだろうか。『お父さんは心配症』のほうがもっとアウトかもしれないが。

『学生コケ』にこんなシーンはない

ただ、常日頃思っていることだが、アカデミーだカンヌだの出品作みたいなものにはどうしても「外向き」に見せたがっている自国の姿が映し出されるもので、そういう作品では、たとえ当該の国家の暗部であろうが、かなり自覚的かつ客観的に、洗練されたかたちで撮られているのだと言える。他方『スチューデント父ちゃん』は、どう考えても国外の目の肥えた批評家やシネフィル目がけて作られた作品ではない。それでかえって、そこに無自覚に表れるコモンセンスの偏りのようなものを面白く観察することができたのだった。逆に言うと、日本を知りたいという外国人に『ハッピーアワー』と『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』のどちらを勧めたらいいのか、という問題である(交互に見せたらいいのかもしれない)。

たとえば一箇所、字幕があってもよく分からないシーンがあった。ヒロインには学外に付き合っている男がいる。彼らがお互いの出身部族を確認するシーンがあるのだが、彼氏のほうが、自分は「スアン」だと言い、ヒロインは別の部族だと答える。ところがヒロインは母から実際のところを秘して伝えられており、実はヒロインもまたそのスアンの出身だった。娘の彼氏がスアンだと知った父は驚き、彼氏と無理やり二人きりの場を設けて秘密を打ち明け、こっそり娘の出自を伝える。すると彼氏のほうは、ヒロインに理由も告げずに音信を絶ってしまう。

私はてっきり、ヒロインの出生の秘密を知った彼氏が主人公に協力するような流れになると早合点したので、いきなり物語からカットアウトしていった彼氏をめちゃくちゃ薄情なやつだと見なし憤慨していた。この点について、カザフの方と話をする機会があったので訊いてみたら、これはどうやらカザフの婚姻のしきたりに関係しているらしい。カザフスタンには7世代前まで世代を遡る、日本人が一度聞いただけでは理解の難しい複雑な身元確認のルールがあるそうなのだが、要は、同族同士の結婚は近親婚と見なされ忌避されるのである。

上述のシーンには、そういう制度に対する批判的な意図はまったく読み取れない。むしろ父である主人公は、彼氏を排除するという強硬手段を以てしてでも、娘を近親婚の危機から守ったということになっている。突然の出来事に寮の部屋で泣きくれるヒロインを慰めるところまで含めて、主人公が1ポイント稼いだ、というシークエンスなのである。

最初、私が勘違いして「スアン」を「スアル(СУАР。新疆ウイグル自治区)」と誤って伝えたのだが、それはスアンのことでしょう、とあっさり訂正された。個々人の出自としてどんな部族が存在するのか、それがどう婚姻関係に影響するのか、そんなものはカザフ人にとっては当たり前のことであるが、私にとってはこの映画を見なければ到達することがなかったカザフ社会の地盤、レアリアであった。一回1000テンゲ(=300円強)でまたとない勉強の機会になった。俳優はみんな魅力的で、見ていて退屈ではない。前に座っていた男子学生のグループはめちゃめちゃ笑っていた。

*1:だが残念ながら、カザフスタンのほうが広い(面積世界9位)