私の頭の中の白無垢

富山県は入善(にゅうぜん)町に「下山」という地域がある。読み方を「にざやま」という。

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という、などと偉そうに言っているが、そこに「下山芸術の森 発電所美術館」というものがあるという情報を得たときは当然「しもやま」と読むものと思ったので、調べてみて驚いたという経緯がある。

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この美術館を訪ねたのが2か月ほど前。はっきりいって美術館と発電所跡の展望台以外に観光に適したスポットは歩ける範囲内になく、展示自体もごく小さな企画展のみなので、合わせて近くの黒部や宇奈月温泉などを訪ねるでもないと暇を持て余すとは思う。実際持て余していたので、展望台脇にあったカフェでお茶を飲んだ際に店主にこの「にざやま」の由来をそれとなく尋ねてみたが、店主夫婦も最近越してきた若い方のようで、知らない、との答えだった。ほかにも何人か地元の方に尋ねたが、詳しいことを知る人はいなかった。

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「下」を「にざ」と読むなどという習いを、寡聞にして私は知らない。ここで私は思った。これはきっとロシア語の"низ"(ニズ。「下」「下部」の意)から来ているに違いない、と。

成り立ちはこうだ。維新の志士たちの活躍も今は昔、新時代を切り開いた白刃から流れ落ちた夥しい鮮血を、越中の地に降りしきる雪が真白に染め直した頃。彼の地になんらかの理由で逃れてきたロシア人将校が、村の庄屋の美しい娘と恋に落ち、駆け落ちをするに至った。「あの山の下のあたり、『ヴニズー』で会おう」、そう言い残して若き将校は約束の時刻に約束の場所へと向かう。しかしそこで待っていたのは愛する村娘ではなく、計画を聞きつけ怒り狂った父親が動員した村の若い衆であった。そのなかで、ひそかに娘に恋心を募らせていたひとりの若者が、娘の必死の懇願にも耳を貸さず、手にした鍬で将校に襲い掛かったのを皮切りに、憐れなロシア人は娘の眼前で滅多打ちに遭い、命を落とした。ややあって、庄屋にうまく取り入ったこの若者と娘との祝言の夜、胸のうちで凍えきった悲しみを解き放つように、娘は将校の後を追って崖から身を投げた。血染めの白無垢姿の亡骸をその腕に抱き、やっと自分の振舞いの愚かさを悟った庄屋は、せめてあの世でふたりが迷わないようにと、娘が身を投げた山、ふたりの逢瀬の場所となるはずだったその地を「下山=ニズ山」と名付け、残りの人生を後悔と祈りのなかで暮らしたのである……。

ポルトガル語の「オブリガード」は「ありがとう」から、アメリカの「オハイオ」は「おはよう」から来ていると相場が決まっている。ならば海の向こうがすぐロシアであるところの富山県の地名がロシア語由来でもなんらおかしいことはないだろう。そう思って調べてみた。

富山県下新川郡入善町下山発祥。江戸時代に記録のある地名。地名はニザヤマで本来はミサヤマと発音していたと伝える。

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あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぜんぜん違う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まるっきり違った~~~~~~~~~~~~~~~~~~-------------------------------------------zzzz

私が頭の中で書きあげた知られざる日本史の1ページはあえなく破り取られ、事態は振り出しに戻る。しかし、そもそも「みさやま」だったとして意味が分からない。『DEATH NOTE』?

私は悲しくなって図書館に向かった。最初からそうすればよかったのである。

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にざやま 下山<入善町

黒部川扇状地の東部河岸段丘に沿って位置する。正しくは「ミサヤマ」で、みさけ山すなわち低地の意である。郡内下田村をみさだ村と呼ぶ例がある。また一説にはふりさけみるの意味で、見放(みさけ)からくるともいう(越中志徴・入善町誌)。*1

昭和54年時点で完全に調べがついている。すごい。調べるとなんでもわかる。

富山県にはたしかに「下田」と書いて「みさだ」と読む地名もあるそうで、いずれにせよ難読が過ぎるが、実は下山と下田は共通の語源、つまり「見下(みさ)け」らしい。「ふりさけみる」(遠くを仰ぎ見る)なら、かの有名な「天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも」でおなじみだが、なんにせよ、きちんとした由緒のある地名であった。そこに報われない恋の墓標がなくて本当によかった。

 

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*1:角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三編著『角川日本地名大辞典 16 富山県』、角川書店、1979、632頁。