恋と愛の天国

映画『人生フルーツ』を見たのは数か月前のことだが、お盆休みに愛知県に行く用事があって、時間があったので、舞台となった高蔵寺ニュータウンに足をのばした。「なんでそんなところに?」と口々に聞かれたが、『人生フルーツ』を知っている人の数はとても少ない。説明に苦労する。私に歯向かうなら目にもの見せてやる、という意気込みで、適当に説明をする。


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『人生フルーツ』という映画については、仲睦まじい老夫婦の理想的なスローライフの記録と見る向きがほとんどだろうし、それはそれでなんの問題もないと思うが、津端修一氏のかつての同僚の証言に混ざる、やや苦々しげな調子も相まって、私個人は戦後左派知識人の奮闘と挫折、社会からの遊離といったテーマの作品として見た。なにはともあれ面白かったから、わざわざ映画の舞台まで足を運んでみようという気になったのだが。

母の友人たちによれば「あんなとこ寂れとるで、なんもないわ」とのことだったが、結論から言うと、この土地が寂れてると言い切れるのは、豊かな町・名古屋に住む者たちの余裕だな、と思った。

名古屋駅からJR中央線に乗り30分。ニュータウンまではそこからバスでさらに10分。駅前にミスドはあるし、中高生から若年層、老人に至るまで、ある程度の人が常に行きかっているし、雰囲気はよかった。DANCE☆MANの言葉を借りるなら、「川が流れ 緑が多いし 都会からも そんなに遠くないし 気に入ってくれるはずさ」という感じである。

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べつにニュータウン自体は観光地でも何でもない、ただの住宅地であるので、住人ではない私が雷鳴とどろくなか目的地もなく歩き回って写真を撮っているのは、かなり怪しい行為ではあった。レンズを向ければそこは即ち他人の家なわけで、あまり褒められた振舞いではなかったかもしれない。とはいえ、住人が退去して棟まるごと閉め切られた様子の建物も実はちらほら見られ、「寂れとる」の一端が見えたのは事実だ。

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幸か不幸か、落日の日本の地方都市の郊外のニュータウンをスパう(※スパイする)ことにもはや何の意味もない、というのは官憲の側からしても同じ認識であったようで、誰も私に関心を払っていなかった。私のほうは私のほうで、他人の家を見に行ったのではなく、ただただ「戦後日本」を見に行ったに過ぎない。思い出しておくれ、素敵なその名を。