NULL

なんかもう逆に「ヌルスルタン」時代に行っておいてよかったかもしれん、という感じになっている。

www.jiji.com

カザフスタンの首都がアスタナからヌルスルタンに改名されたのは2019年の3月末だったので、再度の改名となればヌルスルタンという都市の命は3年半ほどの短いものということになる。私は2019年のゴールデンウィーク(4月29日~5月3日)に、できたてほやほやのヌルスルタンで開かれたなんらかの会に参加していた。平成から令和に元号が変わる瞬間にカザフスタンにいたわけだから、厳密に言うと私はまだ平成の亡霊として世間を徘徊していることになる。

ヌルスルタンの街は、私の下調べ不足とか、そもそも観光目的で行ったのではなかったとか様々な理由から、正直観光地としてはさほど強い印象を残さなかった(おそらく旧都アルマティなどにおもしろいものがあるはずだが、そちらに足を運ぶ余裕はなかった)のだが、とはいえ中心部は相当栄えていて(黒川紀章がコンペで勝って設計したというのは日本では有名な話)、ご飯もおいしかったし、せめて1か月くらいのんびり滞在して街の暮らし心地を体感する時間が欲しいなあと思った。

ホテルであてがわれた部屋が広すぎて爆笑している

滞在していたホテルとは別のホテルで開催された学会初日のセレモニーに登場した民族衣装の女性

学会会場のグミリョフ記念ユーラシア国立大学

町のシンボル「バイテレック」

橋のデザインよ

 

一番よい思い出として残っているのは、ホテルの近くで夕食をとろうと思って偶然見つけた「サラムアレイクム」という飲み屋。https://g.page/salamaleikum-astana?share

奥のホールで爆音の音楽に合わせ人々がめちゃくちゃ踊っているのを尻目にひとりで羊の炒め物や炒めラグマンを食べ、めちゃくちゃうまかったので2日後にもう一度行った。たぶん中央アジア慣れしている人からするとこれくらいの味は普通なのだろうが、私にとっては普通ではなかったのでそういうのはいい。初見に優しくない業界は滅ぶ。

現在ロシア語学習者の学生さんなどは、短期・長期かかわらずロシアに留学する道はほぼ絶たれてしまっているが、カザフスタンはかなり教育レベルも高いし、街自体もいいところが多いように思えたので、日本人の目がもうすこしこちらに向けばいいのにな、と日ごろ勝手に思っている。しかしなんか代替案みたいな言い方で嫌な感じだ。ねえ?

 

それにしても、なぜ最近過去の話ばかりしているのか?私は過去に執着する男だからである。過去だけが明るく、現在は薄暮に包まれ、未来はまっくらである。