春なので映画を見にいきましょう

冬に見たっていいけどね。

5月3日にロシアで封切られた『ソビボル』("Собибор")という映画を見る。恥ずかしながら知らなかったのだが、ソビボル収容所というナチス強制収容所赤軍の軍人ペチェールスキー(ユダヤ系のソ連人。出身は現在のウクライナ)が主導した脱出蜂起が、全収容所内での唯一の成功例だったそうで、本作はこれに材をとった作品である。

www.youtube.com

強制収容所を題材にした映画はたくさんあるけれど、比較的最近に話題になったものといえば『サウルの息子』だろうか。これを新宿で見て重い足取りで映画館を出、西口でラーメンを食べながら、なぜ俺は今のうのうとラーメンを食っていられるんだ……! と自分を恥じたことを思い出す。今考えるとよくわからない。

この記憶と比較すると『ソビボル』は、映画の作りに若干の軽さが否めなかったというのが正直な感想である。いやたしかに、看守たちによる気まぐれな虐待・虐殺の描写の数々は、これまでにわたしが見た同様のテーマの作品のなかでもかなり多量で直接的かつ陰惨(「+12」でいいんですかというくらい)な部類に入るのだが、どこか漫画的でわかりやすい愚かな悪役の描写(囚人を馬に見立てて馬車をひかせ倒れたら射殺する、酒を頭から浴びせて笑いながら火をつける、女性の囚人に難癖をつけて強姦しようとする)は、最後の大脱出シーンをカタルシスとして際立たせるための過剰な演出で、作品のテーマ自体が持つ重みを削ぐ以上の効果はなかったのではないか。

おそらくこの映画で描かれた暴力は、大なり小なり似たようなことが実際にあったのだろうし、ナチスの蛮行については万言を費やしても語り尽くされることはないだろう。であるならば逆に、なにを描きなにを描かないのかという取捨選択が、こうしたテーマの創作物の価値に直結してくると思うのだが、ドイツ軍のあからさまな暴力行為とそれへの反撃に焦点をあてた本作は、結局ロシアによるロシアのための、一種の勧善懲悪ものとしての「抗ナチス」映画、というところに帰着してしまったように思う。 5月9日の戦勝記念日(ソ連の対独戦勝利を祝う記念日)に合わせて公開されたのは、明らかに偶然ではない。

ちなみに主人公のペチェールスキーさんという方、脱出に成功したものの、ユダヤ系で一度ドイツ軍の捕虜になっていたということでその後ソ連では必ずしもよい扱いを受けなかったようである(これに関連してというべきか、ドイツ軍にいったん投降した兵士が主人公のアレクセイ・ゲルマン『道中の点検』という素晴らしい映画がある)。こうした歴史の1ページを知るきっかけとしては、さんざんいったあとでなんだが、見てよかったということにしたいと思う。