ドス禁

以前家族から「ドストエフスキーソ連でどのように読まれていたのか」と問い合わせがあった。そういうことは私でなく当事者であるドストエフスキーソ連に問い合わせるべきだ。

どうしてそんなことになったのかというと、SNS上で「ドストエフスキーソ連時代禁書だった」という前提で発言をしている有名な物書きの方がいたからだそうなのだが、追っていくと、日本語版のWikipediaドストエフスキーの項目に、次のような記述があることが分かった(【要出典】の注記があり、2023年10月24日時点でも未修正)。

ドストエフスキー作品の多くは、革命的思想を宿したものが多かった。ロシア帝国に代わったソビエト連邦において、1924年から1953年までのスターリン体制下では『貧しき人々』以外の殆どの著作は発禁処分を受けていた。1956年のスターリン批判後に解禁再刊された。*1

ドストエフスキーがいつどの程度愛読され、あるいは冷遇されていたのかを私は知らないが、少なくとも彼ほどの作家を完全に「発禁」にするのは、相当な努力を重ねても難しいだろうというのが常識的な判断だ。Wikipediaを鵜呑みにして、ドストエフスキーソ連時代にまったく読まれなくなっていたということを信じる人は稀だろう。そのうえ、そもそもそんなのどっちでもいい、という人が大半だろうから、以下に書く話は全体的にぬるめの温度感のどうでもいい話、そんな前提に乗って話を進めると、まずドストエフスキーソ連時代に読まれなくなるとすればそれは「革命的思想を宿し」ていたからではなく、むしろ反革命と名指されるからではないかと思う(「IT革命」くらいのノリで革命と言っているなら話は別だが)。

ただ「読まれていたはず」とだけ言っていても根拠にならないし、ソ連時代に冷遇された事実があったのは確かだろうと思ったので、関連情報を探して広大なネットの海の浅瀬をうろうろしていたところ、「ソ連史の神話」というウェブサイト内に「禁じられたドストエフスキー」(ロシア語)という記事を見つけた(https://wiki.istmat.org/%D0%BC%D0%B8%D1%84:%D0%BD%D0%B5_%D0%B8%D0%B7%D0%B4%D0%B0%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B4%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9)。

おもしろいのは、こんな項目が立てられるということは、ロシア人もまた「ドストエフスキーソ連時代禁書だった」ということを事実として信じている場合がたまにあるということだ。たとえばとあるラジオ番組では「フョードル・ミハイロヴィチ自身も、ソ連作家が最初の大会ですでに宣言されていたように、現代の汽船から放り出された。その後、彼は長い間出版されなかった。そののちはじめてドストエフスキーの版が出たのは、第二次世界大戦後だった」といったような発言がなされたと指摘される。

それに対しこの記事では、1930~50年代(つまりスターリン政権下)に、ドストエフスキーの著作が様々なパッケージで、10000~300000部程度の振れ幅で出版され続けていたことや、1935年にゴーリキードストエフスキー『悪霊』の出版に言及した記事があること、1965年の教科書にドストエフスキーの項目があることなどを、データや写真をもとに論じて「神話」を解体していく。誰が書いたのかはよく分からないが、Wikipediaよりは信用できそうな趣がある。これだけ見ていると、「長い間出版されなかった」などという勘違いがどこから発生してきたのかが不思議なくらいだ。

https://wiki.istmat.org/_detail/%D0%BC%D0%B8%D1%84:dostoevsky_besy.jpg?id=%D0%BC%D0%B8%D1%84%3A%D0%BD%D0%B5_%D0%B8%D0%B7%D0%B4%D0%B0%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B4%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9

すでに述べたとおり、ソ連時代にドストエフスキーが読めた、なんてことは検証するまでもなく自明な気もするのだが、後代の人間にとってみると、そういう「言うまでもなくあった過去」の存在証明って空気をつかむような話で、明らかにそれに反する、デマみたいなそうでもないようなふわっとした言明があった際に、とっさに否定しきれないことがあるのだなとは今回の件で思った。Wikipediaの記述「1924年から1953年までのスターリン体制下では『貧しき人々』以外の殆どの著作は発禁処分を受けていた」というのも、いやに具体的なので、おそらくこれを書いた人にとっては何か信じるに足る証拠があったのだと思うが、それがなんなのかはまさに「要出典」のため分からない。どこからこういった話が出てきたのか、気にはなる。

ドストエフスキーソ連時代禁書だった」と述べる人はおそらく、デマを流そうなどという気はさらさらなく、ドストエフスキーソ連期に今のような読まれ方はされていなかったらしいということはなんとなく聞き知っていて(実際さっきのゴーリキーの文章にも、1935年『悪霊』の出版に抗議した人々がおり、2巻本の第2巻は出版されなかった、という文脈がある)、そのうえで「作家って体制に弾圧されるくらいのほうが箔がつくんじゃないか」というイメージに尾鰭を与えて泳ぎ回らせているのだと私は邪推するが、私もそういう意味では(特に酒の席などで)適当なことをよく言って後悔しているので、本当はみな知識のひけらかし合いなどやめ、中州に屯する鳶が器用に腰をくねらせ風に乗る様子をぼんやり見つめているほうがいいのである。秋が深まってまいりました。

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