オタール・イオセリアーニの『唯一、ゲオルギア』(1994)を見に行けてよかったなと思っている。
金沢のシネモンドという映画館で見たのだが、近所で昼飯を食えるところを探していたら「グルジア料理とフランス料理の融合」を謳うレストランを発見して、なんでだよと思った*1。
Bistro pas a pas 香林坊/片町/フレンチ ネット予約可 | ヒトサラ
イオセリ作品は『落葉』しか見たことがない。ワインに薬品を入れる入れないでもめる映画だ(入れないで!)。これ以外も見たいとは思えども、ほかの主要作品はまたどこかで上映されそうな雰囲気があるから、4時間もあってほかでなかなかやってくれなそうな『唯ゲオ』を優先することにした。
映画自体が3部構成で、それに合わせて2回休憩が挟まれたので、2回もトイレに行くことができた。2部から3部にかけてはロシア革命後サカルトヴェロがソ連に組み込まれてのちのお話になり、ガムサフルディアやシュワルナゼといったグルジアの政治家がスクリーンに登場するまでは、レーニン、スターリン、ゴルバチョフ、フルシチョフといったお馴染みの面々が映し出されていたので、そのあたりはあまりジョージア映画を見ている気分にはならない。なんだか似た雰囲気のものを最近見たなと感じたが、たぶん『ミスター・ランズベルギス』。ランズベルギスの英雄的な描かれ方を見たあとだと、グルジア初代大統領ガムサフルディアのめちゃくちゃな言われようがすごくて、ダメなやつだとしても不憫である。もっとも、ランズベルギスの評価を『ミスター・ランズベルギス』で定めてはいけないように、ガムサフルディアへの散々な評価も(パンフレットで前田弘毅氏が書いているように)イオセリアーニの1994年当時の政治的立場から見たそれでしかないことには注意を払いたいところだ。
サカルトヴェロの歴史、文化、政治のどれひとつについても私は語れるものを持たないが、「うちのところは多民族・他宗教でずっと仲良くやってきたし、ユダヤ教だって排斥したりはしないのだわ」という語りが、映画全体の反ソ的なトーンのなかにあって図らずもソ連的なナラティブを踏襲してしまっているように見えて、なかなか難しいものだと感じたことは印象として記しておきたい。ゴゴべリゼ監督『金の糸』が見事に描き出したように、過去というものはうまく振り切ったかなと思っても、忘れたころになってしつこく訪ねてくるものなのだ*2。多民族共生を謳い文句に、ときに強圧的に押し広げられたソ連的ナショナリズムへの反発として、ソ連構成国の独立運動は民族主義的な性質をそれぞれ帯びるわけであるが、スターリンがグルジア出身だということは、かの地の民族主義思想にとっては躓きの石とはならないのだろうかということはいつも気になる点ではある(また、ウクライナのホロドモールの問題にしても、民族主義的な観点で極端まで突き詰めると、ウクライナ人を殲滅しようとしたのはジョージア人だ、という結論に至ってしまわないのだろうか)。
最近アニメの『平家物語』を見終えたばかりである影響で、私の体内で無常感が高まっており、ソ連も平家も、驕りに驕って久しからずな点は似たようなものだぜ……と思ってずっと見ていた。春の夜の夢が潰えたのちに怨霊となって猛威を振るっている点も似ている。ほんとはあんま似ていない。