スコーンを焼く者はケーキをも焼く

姉に薦められて見始めた『ブリティッシュ・ベイクオフ』というNHKの番組がめっちゃおもしろい。イギリスの焼き菓子特化テレビチャンピオンみたいな番組だが、審査員のポールとメアリー、司会のスーなどのキャラが良くて、私は彼らのモノマネ(吹替ver.)を身につけるべく日々奮闘している。タルトの底が生焼けでブヨブヨじゃないか?ともかく、みんなも見たほうがいい。シーズン2はまだ始まったばかりだ!

見たほうがいいかどうかよくわからないもので言うと、今日はウクライナ映画のヴァシャノヴィチ監督『アトランティス』と『リフレクション』を見た。2014年のクリミア半島侵攻(併合)後のウクライナ東部ドンバスでの紛争が題材になっている。

両作品とも基本、真横からのアングルで固定されたカメラによって映し出される、体感5~10分くらいのワンカットのショットが切り替わっていく形で進んでいく。映画鑑賞体験がさほど豊富ではないので偏った例で恐縮だが、ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督の『ピロスマニ』やロイ・アンダーソン監督の諸作品を思い出させた。『アトランティス』『リフレクション』の場合、そうしたカメラワークには物事を必要以上に感情的に、ドラマチックに描かないという意図が込められているだろうことは十分に伝わってくるのだが、ただ、そうした単調な構図を1時間2時間にわたって絵画的に美しく見せ続けるのには相当の工夫が必要なんだなと気づかされたというのが正直なところである。両作とも動きや色が単調で、長回しも単に間延びしている印象を受け、ちょっと退屈してしまった。

一点ファッとした箇所に言及しておくと、『アトランティス』のラスト、パンフレットの表紙にもなっている、抱き合う二人の体温がサーモグラフィーの映像で映し出されるシーン。

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映画の冒頭、ウクライナ側の兵士が殺害され徐々に体温を失っていく様子(正確に言うと土をかけられて体温が不可視化されていく様子)が同じようなサーモグラフィーの映像で映し出されているのだが、その後その殺害された兵士は狙撃手だったと判明する。ところで、こうしたサーモグラフィーは戦場においてはスナイパーが敵を察知して標的とするために用いられることもあるそうである。深読みが過ぎるかもしれないが、愛し合い抱き合う二人の体温が可視化されるということは、戦場においてはすなわち彼らが今まさに敵に見つかっている=死に近づいている(体温は冷めていく)ことの表れでもあって、単なる愛情のメタファー、パンフレットの解説にあるような「温もりの回復」以上の意味があるのではないかと思った。冒頭の凄惨な殺人シーンと同じサーモグラフィー映像で最後のシーンをわざわざ描写する理由が、そうでなければよく分からない。サーモグラフィーで機械的に赤く表示される体温に、ふつう人は「温もり」を感じない。どちらかというとそれは非人間的な記号としての「熱」で、プレデターが敵を発見するとか、空港の検疫で病人を発見するとか、そっちのイメージが先行するんじゃないだろうか。

現在のウクライナ情勢に興味のある方であれば、これを見て今後に資するところが大いにあると思うし、実際私もそういった興味から見に行ったのでそれはそれで良しとするが、逆に純粋に映画を見る楽しみだけを求めていくとすると、それがどれだけ得られるかはよくわからない。拷問や検死のシーンは、これが戦争のリアルなのだとはいえ、そう好んで見たいものではないし、必然性のよくわからないセックスシーンなどもある(兎にも角にも異性愛や家族愛が傷ついた人間の救済として持ち出される点は、ロシアの戦争映画と悲しいかな似かよっている)。現在進行中の戦争を描いた映画が美的に優れているかどうかなど二の次ではないのか、リアルなら良いのではという意見もあるだろうが、それならそもそも映画芸術という迂回路を取る必要はないだろう。