飯のことで喧嘩すな

ロシアの批評家コンビ(現在は解消)であるゲニスとワイリという人が書いた『亡命ロシア料理』という本があるが、1年ほど前にこの中の「帰れ、鶏肉へ!」という料理を実際に作ってみたという人の発言がSNS上でバズっていた*1。この本はそれ以前にも一度大きくネット上で話題になっていて、そのときはそれを契機に長らく品切れ状態だったものに増刷がかかっていたので、なかなかどうしてそういう力のある本らしい。

昔読んだときは実際にこの本のレシピで作ってみようなんて思いつきもしなかったが、その後「帰れ、鶏肉へ!」の話題を目にして実際に作ってみたら簡単なわりにめっちゃおいしかったので、それ以来ハマって寒い時期にたまに作っていた。さすがに夏場に長々と火を使って煮込み料理を作るのは億劫なので、ここしばらくは忘れていたが、スーパーで安売りの煮込み用牛肩肉ブロックを前にしてふと、別にあれ、鶏肉じゃなくてもできるんじゃないか?と思いついたのが一昨日くらい。

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結論から言うと、肉じゃがになった。それは、肉の量が少なかったために嵩増しのため元のレシピにはないジャガイモを入れたからにほかならないのだが、それはそれとしてまあ、洋風の肉じゃがとして大変よろしい出来映えになったので、目論見はそう外れなかったということにしたい。ロシアに留学していた時は、牛のすね肉の塊などがかなり安くて、暇を持て余したわたくしは煮込み料理を頻繁に作っていたが、当時の味を思い出して目頭が爆発した。

最近ゲニスはユネスコによるボルシチ無形文化遺産登録に寄せて「ボルシチ賛歌」という短い記事をネット上で発表していた。飯に関する情熱は相変わらず強いようだ。

多くのソ連人と同様、私は祖父を知らなかった。ひとりはスターリンに、もうひとりはヒトラーに殺されたのだ。ただその代わり、ほかの皆と同じように祖母はふたりいた。ふたりともキエフの同じチカロヴァ通りに住んでいて、ふたりとも名前はアンナだった。アンナ・グリゴーリエヴナとアンナ・ソロモーノヴナという。ひとり目のアンナおばあさんはウクライナボルシチ、もうひとりのアンナおばあさんはユダヤ風の、すこし甘めでトマトを使わないボルシチを作った。夏にはふたりとも、粗く刻んだ干しヤマドリタケを入れた斎戒向けのボルシチを好んだ。それには肉が入っていなかったら、温めたり冷やしたりせず、(当時もこういう言い方をしたのだが)室温で供された。家族の話によると、私自身は生後6カ月からボルシチを食べていたらしいが、それを作るようになったのは、親を亡くし一人きりになってのちのことである。もうこれ以上退くに退けないんだということがはっきりして、私はこの家庭の重荷を背負うことになった。

ボルシチの帰属をめぐるゴタゴタにあまり嘴を容れる気もない(ゲニスが言うように、たしかに外国人にとってはボルシチの起源がどこかなんてことは正直どうでもいいのかもしれない)が、上のゲニスの記述を見るに、ボルシチなんてのは味噌汁やら肉じゃがやらみたいに、家庭ごとに家庭の味があり家庭の記憶があるような素朴な存在なのだと思う。もちろん、そうして個々人の記憶と切り離しがたく結びつく味だからこそ、ウクライナ人はそれがロシア料理と名指されることに強い忌避感を覚えるのだろうが(昔あるウクライナ人が、かつて大学生時代にモスクワで間借りしていた部屋の家主のおばあさんが作ってくれたボルシチは、甘すぎて食べられたものじゃなかった!と笑いながら話していたのを思い出す)。国家の犯した愚行がきっかけとなって、そうした個人的な無数の記憶たちの上に第三者が足を踏み入れていくこと、ゲニスのおばあさんたちが好んだ「粗く刻んだ干しヤマドリタケを入れた斎戒向けのボルシチ」(聞くだけでおいしそうだ)が、彼女たちのものではなく国の所有になっていくことに、言い知れぬ物悲しさを覚える。たしかに「無関心な外国人」は黙って見ているほかない。だが、観客にも悲しむくらいの権利はある。

そういえば、ゲニスとワイリの主著と言ってよいだろう『60年代:ソヴィエト人の世界』は、翻訳が進んでいるという噂をだいぶ昔に聞いたこともあるのだが、それ以来とんと話を聞かない。たいへん面白い本ではあるが、ソ連社会に関してかなり該博な知識が求められる重厚な本で、ひとりで訳すのは相当難儀しそうだし、そもそも今一体誰がソ連の60年代について知りたがるのかという根本的な疑問もある。

*1:ちなみに今回の戦争が始まってから料理研究家リュウジ氏がこのレシピを紹介したところ、ロシア文化を肯定的に紹介するとは何事かと叩かれていた。さすがにとばっちりでかわいそう