濱口竜介が「不気味なものの肌に触れる」なら、こっちは「店で食ったものの写真を撮る」。熱々の料理が出てきて最初にすることが「スマホを構える」だというのは、正直未だに気恥ずかしさが消えない行為だが、日記代わりと割り切ってまめに撮っていると、ほんとにのちのち日記として機能したりする。そういうことにしといてほしい。
先日ボルシチの話をしたとき、自分はかつてウクライナでボルシチ食べたことがあるはずなのに写真が見当たらず、ほんとは食ってないのに記憶を改竄しているのだろうかと苦悩していた。外部記憶に依存しているとそういう、実際には食ったのに記録に残ってないから食ってないことにする、みたいな本末転倒なことが起きる。人間の尊厳を一山いくらで機械に売り渡している。
それはいいとして、どうやら当時iPadで撮っててそっちにデータが残っていたらしい。撮るか?iPadで?写真?
これは、若干高めのレストランで注文したボルシチであったため、中央にステーキ肉ばりの牛肉の塊が鎮座している様子がうかがえる。おいしかったと記憶しております。
以下は、一山いくらの私の記憶たちである。幸あれ!!!
そういえば、ウクライナのリヴィウという町は、かつてコサックがコーヒー豆をどこからか(トルコ?)運んできて普及させたという歴史があるそうで、旧ソ連圏としては珍しくコーヒー文化圏らしかった。市街の中心部にコーヒーを前面に押し出すカフェが何軒もあり、下の写真はそこで撮ったもの。
それではさようなら。