タジク人たちはどう生きるか

『ルナ・パパ』が良かった。大変良かったというべきかもしれない。

『コシュ・バ・コシュ』も良かったというべきかもしれない。

時めぐって、私の住む町にもフドイナザーロフ特集が巡回してきたので、上記2作品を見ることができた。町にやってくる紙芝居屋を心待ちにしていたかつての少年少女たちもこうした気分であったろうか。

以前東京でやっていた中央アジア映画祭で『海を待ちながら』は見たことがあったので、これでフドイナザーロフ作品を3本見たことになる。フドイナザーロフ作品を3本も見たことがあるのは、フドイナザーロフ本人を別にすれば多いほうではないだろうか。タジキスタンに関する知識がほぼないので、特に分析とかはしない。印象に残ったことだけメモする。

【ルナ・パパ】

・ヒロインを助けようとして、兄が車を(運転するのではなく)押して小屋に突っ込むシーンは、めちゃくちゃ笑った

・ラストシーンは、なんとなくクストリッツァの『アンダーグラウンド』を思い出した。全然違うけど

・あんがい悲しい話で悲しい

・主人公の女の子(マムラカット)めっちゃかわいいと思いながら見ていたが、『インフル病みのペトロフ家』にも出ていたチュルパン・ハマートワだとあとで気づいた。映画を見ててもまったく俳優の顔の見分けがつかない。そんなことは本質的ではないといって誰か私を慰めてほしい

【コシュ・バ・コシュ】

・ビール貴重。この世界をいつでもビールが飲める世界にしたい

・終盤、ロープウェイの中で主人公2人が睦みあうシーン。流れていく風景の切れ端。美しいと思う

私が見たフドイナザーロフの3作品は、彼が1965年生まれのソ連人でロシアの映画学校を卒業しているということもあってか、基本的にどれもロシア語映画だった。映画そのものの感想からはすこしズレていくが、今後中央アジアなりウクライナなりの文化を日本で受容するにあたって、それが完全にロシア語の影響を脱する日というのは来るのだろうか(べき論というよりは、単なる可能性の問題として)。というか、ロシア語を知らずにタジク語から勉強した人がタジキスタン映画を、ウクライナ語から勉強した人がウクライナ文学を、研究なり翻訳紹介なりし始める人が大勢を占めたときはじめて、「ソ連」という枠組みが文化史のなかで解体されることになるのかもしれないなあとぼんやり考えている。

ただ、ロシアという国家の威信が低下し、それにしたがってロシア語の影響力もまた低減していくことで、日本の教育機関でロシア語が徐々に教えられなくなっていくとしても、そのかわりに新たな教養科目としてウクライナ語なりタジク語なりカザフ語なりキルギス語なりが空位を占めるということにはならず、単純に英語・中国語以外の外国語教育の機会そのものが減っていくだけだろうということも容易に想像がつくので、そんな新世代が生まれる前に地域研究の土壌がやせ細って劇終、かもしれない。『プリンプリン物語』か『献灯使』みたいな世界だ。

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