カーチャとワーシャ、学校に行く

『ヘィ!ティーチャーズ!』というロシア映画を見た。

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原題は『カーチャとワーシャ、学校に行く』"Катя и Вася идут в школу"だそうで、モスクワで学んだ2人の若い教員が地方の学校に赴任して苦闘する1年を追っかけたドキュメンタリー。東京では渋谷のユーロスペースでのみ、しかも朝10時半からしかやっておらず、こっそりひっそり感が伝わってきて辛い。そりゃまあ、今般の世界情勢に鑑みるに、いまロシアの若者が日常生活において悩み苦しむ様子を伝えて共感を呼ぼうとしたところで、君らの人生がなんぼのもんじゃいと混ぜっ返されるのは目に見えているのであって、上映してくれるだけ感謝しなくてはいけない。僕みたいな者が見に行かなければ誰も見に行かないであろうと思ったら、10人くらいはお客が来ており「朝っぱらから物好きだなあ」と思った。

そもそも、モスクワ在住の2人が地方の公立学校に派遣されるというソ連時代みたいなことがなぜ起こってるのだろう?というところがよくわからないまま見ていたのだが、パンフレットに収録されている監督のインタビューによると、「一流大学の若い卒業生が地方の一般的な学校で働く特別プログラム」に乗じて撮影したものなのだそうだ。NHKで夜の時間帯に流している海外ドキュメンタリーの雰囲気そのままという感じではあったが、ここで見とかないとソフト化なんて恐らくされないだろうし、見て損はないくらいのおもしろさではあった。1980年生まれドイツ在住のヴィシュネヴェッツ監督は、ウクライナでの紛争に関する作品も撮っているそうで、今後注目していきたい。

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若い2人の主人公の挑戦は、ロシアという国の現実にぶち当たって結局あまりうまくいかない。そこがかえって本作の美点だ。特に国語(ロシア文学*1)教師のカーチャ(エカテリーナ)のほうは相当リベラルで曲がらない思想の持ち主のようで、生徒のみならず同僚や保護者ともどうしたって波長が合っておらず、これは苦労しないわけがないと他人事ながら胃が痛くなってしまった。「フェミニズム」とか「グローバリズム」などという言葉が、都会出身の高学歴な人間が弄ぶ空疎な冗語としてしか響いてこないという人々はロシアのみならず大勢いるはずで、2人の空回りにも近い頑張りを見て思わずいたたまれなくなってしまうのはそこなのだろう。

いま思い出したが、こういうロシアの教育現場のリアリティを上手にフィクションに仕立て直すと、キリル・セレブレンニコフの『生徒(Ученик)』になるんやろがい。ロシアの教育界における宗教や同性愛の扱い、疲れ切って凝り固まった同僚、問題を抱える生徒の家庭環境の複雑さなどについて、図らずも両者はほとんど同じようなモチーフを扱っている。

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チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』でも『ナワリヌイ』でも(ドキュメンタリーじゃないけど)『ドンバス』でも、むき出しのロシア性を叩きつけてくる作品は今だからこそ非常に面白いのだが、それらに比べてスクリーン上で起こっていることは圧倒的に退屈な『ヘィ!ティーチャーズ!』も、起こっていることそれ自体の重みというか、そこで描かれている事態がロシア社会におろしている根の深さで言えば、さほど変わりはないように思えた。『リヴァイアサン(裁かれるは善人のみ)』とか『私のちいさなお葬式』とかを見てたときに感じた、ロシアの地方の息詰まる行き詰まり感みたいなものが再び私に迫ってくる。私が地方出身だからということもあるかもしれないし、ないかもしれない。『私のちいさなお葬式』は、私はけっこう好きなので、世界が平和になったら見てみてください。ズビャギンツェフ?知らん!

私のちいさなお葬式(字幕版)

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  • マリーナ・ネヨーロワ
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*1:カーチャが教える詩や文学理論みたいなものに生徒たちはまるで興味を示さず、彼女はどんどん情熱を失っていく(恥ずかしがりながら自作の詩を発表する生徒たちは可愛くもあるのだが)。「ロシアでは中高からドストエフスキートルストイを読ませる」とかあるいは「フランスでは入試で哲学が必須だから高校で哲学的思考が…」とかいうことが、海外の教育事情をポジティブに喧伝する際にいささか単純化されて伝わってくることが時折あるが、いや絶対ほとんどの生徒は何の興味も持ってないだろと思っていたので、その実例が挙がってしまったようで何とも複雑な気分