С наступающим Новым годом!

なんの気なしにロシアのマガダンという町のストリートビューを眺めていたら、日本語が書かれたトラックを発見した

いったいどのような経路で、はるばるこのパルコヴァヤ通りまでたどり着いたのだろう。どんな人が、何のために買ったのだろう。2021年の画像のようだが、今もまだ現役で、マガダンの道路を走っているのだろうか。世界の広さに比して、わたしの想像の及ぶ範囲はあまりにも狭い。

木に隠れていて肝心な部分が読めないが、「きれいな は のメッセージ」とある。隠れている部分には何が書かれているのだろう。誰かが誰かにどうしても伝えたかった思いがここには刻まれているはずなのに。できるなら、届けたい、代わりに私が。

きれいな花は ありがとうのメッセージ

きれいな水は 健康へのメッセージ

きれいな森は 環境へのメッセージ

きれいな歌は あなたへのメッセージ

きれいな文は 合格へのメッセージ

きれいな歯は 長生きのメッセージ

きれいな海は 地球からのメッセージ

きれいな星は 天からのメッセージ

きれいな石は 小学生のメッセージ

きれいな土は 農業立国へのメッセージ

きれいな橋は 対岸へのメッセージ

きれいな渦は 四国からのメッセージ

きれいな魚は なれ鮨へのメッセージ

きれいな鱓は 漢検1級へのメッセージ

きれいな犬は 家畜化のメッセージ

きれいな猫は SNSへのメッセージ

きれいな猿は 失われし古代文明のメッセージ

きれいな馬は 豚どもへのメッセージ

きれいな烏は 下校時刻のメッセージ

きれいな虫は 失恋のメッセージ

きれいな脚は ふくらはぎへのメッセージ

きれいな王は 共和制へのメッセージ

きれいな首は 断頭台へのメッセージ

きれいな本は 衆愚化のメッセージ

きれいな讒は 靆へのメッセージ

きれいな顔は 婚活成功へのメッセージ

きれいな妻は 朝帰りのメッセージ

きれいな女は 地獄へのメッセージ

きれいな姉は 十五で嫁にのメッセージ

きれいな槍は 消えゆく命へのメッセージ

きれいな国は 支配と隷属のメッセージ

きれいな朝は 夢の砦のメッセージ

きれいな紺は 夜の手前のメッセージ

きれいな布は 切って縫ってのメッセージ

きれいな米は ふぐ雑炊のメッセージ

きれいな夏は 燃える恋へのメッセージ

きれいな冬は 粛清のメッセージ

きれいな粉は 風車小屋からのメッセージ

きれいな箱は なに入ってるの?のメッセージ

きれいな村は 血の掟のメッセージ

きれいな声は 実は悲鳴のメッセージ

きれいな税は よき統治へのメッセージ

きれいな厠は 秩序へのメッセージ 

きれいな街は 刹那の孤独のメッセージ

きれいな茨城は 埼玉へのメッセージ

きれいな姿勢は ケガ防止のメッセージ

きれいな温泉は インバウンドへのメッセージ

きれいな盛り付けは 土井善晴へのメッセージ

きれいな松任谷は 目に写るすべてのメッセージ

お前のまだきれいな手は 闘うためではなく守るために 殺すためではなく生かすために 壊すためではなく耕すために 憎しみではなく愛のためにある 血で汚れるのは俺たちの手だけで十分なんだよ のメッセージ

宇宙に向けてとめどなく放たれる電波も、いつの日か異星人がキャッチする。あなたの靴底がけっして踏むことのない道に置かれたトラックのメッセージも、いつの日かあなたに届く。そう信じなければ生きる意味がない。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

アンダープレッシャー

現代人は日々途方もないプレッシャーにさらされ疲弊している。上司、教師、父、母、夫、妻、友人、彼氏、彼女、同期、顧客、フォロワー、マスコミ、世間、試験、受験、就活、常識、責任、迷信、憶測、猜疑、陰謀、風説、風雪、太陽、大地、大気、深海、闇、光、嘘、真、犬、猫、鼠、牛、虎、兎、龍、蛇……身の回りのありとあらゆる存在が、のしかかる圧力の源だ。人びとは背負うものの大きさに苦しんでいる。

この身を縛る圧力から逃れ、せめてひとときの自由を得たいと願わない者はいない。のびのびと生きたい、プレッシャーなどないほうがいい、それが普通の感覚である。しかし人の考えることは、ときとして理屈に合わないものだ。プレッシャーが取り払われたら取り払われたで物足りなさを感じ始め、自分を成長させてくれる負荷を求めて、たとえば会社を変えたり、きついトレーニングに励んだり、わざわざ山奥に出かけたり……。

なるほど、自分の限界を見定め、それを超えていくために敢えて自らに負荷をかけることを悪と断ずることなどできない。となると、プレッシャーはあったほうがいいのか、ないほうがいいのか?

そうした出口なき逡巡の果てに、人間の叡智は〈ちょうどいい圧力〉を発生させる機械を生み出した。圧力鍋である。

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それでは、今日はビーフシチューを作ってみましょう。

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鍋に入れていい分量を指示する目盛をよく見ておらず、めちゃめちゃに吹きこぼれて台所が悲惨なことになった。やはりプレッシャーなどないほうがいいのか。

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鬼太郎はリモコン下駄を履かされている

数か月前に買った缶のハイボールは正気を疑うほど高くて、飲むのがもったいないもったいないと思い続けるうち飲む機会を逸していた。しかし先日『駒田蒸留所へようこそ』を見たことが、今日飲まずしていつ飲むとおのれを鼓舞するきっかけとなり、ようやくふたを開けることができた。美味い。

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『駒田』は、まるでつまらないわけではなかったが、90分という短い尺で朝ドラのダイジェスト版を見せられたような印象ではあった。主人公の記者の顔の造詣がどうにも歪んでいるように見えたり、性格がどう考えても終わっていて、ちょっとやそっとで更生できるようには思えなかったりしたことも、いまいち物語に入り込めなかった理由だろうか。

P.A.WORKS作品は、私の血となり肉となって私の魂とともにあの空を駆け巡っているが、リアリズムを追求することでアニメらしいフックを欠いた作品も時折見受けられる。まあそれはそれで「うすしお」という感じで悪くはないのだけれども、他方、リアリズムの惰性を血の掟によってパンチの利いたハイパーリアルに塗り替えていったのが『true teas』であったことを忘れるべきではない。それは言い過ぎかもしれない。

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血の掟という観点から言うと(?)、人に勧められて見た『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、まったく鬼太郎に思い入れがない自分でもじゅうぶん楽しめた。物語の導入部は誰がどう見ても『犬神家の一族』なのだが、そういや幼いころに漫画やアニメやドラマで触れた『金田一少年の事件簿』って、こういうドロドロした復讐譚みたいなのばっかだったし、よく皆あんなの見てたもんだ、と懐かしく思い出した。とはいえ、近年の流行を見るまでもなく、「復讐」とか「仇討ち」って一級の娯楽なのですよね。

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2016年のかぼちゃビール

コンビニで「芋」ビールを見つけた。最初は芋焼酎ソーダ割りかなにかかと思ったが、パッケージに「ホップ」とあったので、ビールと分かった。

これを飲んで思い出したことがある。7年ほど前、金はなく、それでもなんとかして日々の生活にアルコールの彩り(=無色)を加えようとしていた頃の話。近所のスーパーに足を運ぶと、見慣れないビールが130~40円くらいの捨て値で売られていた。

「ザ・パンプキン」を謳うパッケージが怪しく光るこの飲み物は、種別としては発泡酒だが、麦芽の割合は通常のビールを名乗れる程度使用されていたようで、ただ一点、かぼちゃの混ぜ物のせいで発泡酒を名乗らざるを得なくなっているようだった。飲んでみると、かぼちゃ由来の奇妙な甘さと香りが、ビールに清涼感を求める消費者の口にどう考えても合うはずがなく、これで定価がビール並みなら、大量に売れ残るのもむべなるかなという印象だった。味的にも価格的にも、かぼちゃがなにひとつ良い働きをしておらず、かぼちゃもこんなことのために大地に根を張り実を膨らませたのではないはずだった。

しかし若き日の私は、製法上はほぼビールであるものをこの値段で飲めるなら意外と悪くないぞ、と思って、スーパーに行くたび1,2本買ってごくごく飲んでいた。しかしそんなオレンジ色の夢の日々はすぐに終わりを告げる。私しか買っていないようにすら見えたザ・パンプキンの不良在庫は店頭から姿を消し、それっきりサントリーがかぼちゃ味のビールを再販したという話は聞かない。『ハリー・ポッター』のバタービールならホグワーツまで行かずとも大阪に行けば飲めるが、私の思い出のかぼちゃビールは、サントリーがもう一度とち狂わない限り二度と飲むことはできない。

今回の芋ビールはというと、こちらも芋のせいで発泡酒を名乗らざるを得なくなっていて、あの味にすこし似ている気がする。あのころと違うのは、これを定価で買っているということである。

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※※※閑話Q題※※※

『〈賄賂〉のある暮らし』を読んだ。

経済にも法にも疎いので的外れな感想かとは思うのだが、ここで扱われている、カザフスタンにおける賄賂の授受と似た生活密着型の道義的逸脱が日本だったら日々どこで発生しているだろうと考えたとき(日本にも贈収賄で捕まるやつはいるだろという真っ当な指摘はさておき)、いわゆる「転売ヤー」なのかなと思いながら読んだ。なんというか、もちろんどちらも基本的には己の利益確保を最優先にやっているに違いないのだが、一方で、制度のほうに不備があるから、それを自分たちが埋めてやっているんだ、という感覚が根底にあるのではないかと感じる。

転売という行為は市場の機能への不信から来ている、つまり、欲しがっている人たちはもっと高い値段でも買うはずのものをそんな「良心的」な値段で売っちゃって馬鹿だなあという心性に起因していると思うのだが、公的サービスについてそういうことが起こっている、というのが本書の提示する限りでのカザフスタンの実情ではないか。警察にしろ法曹にしろ教育者にしろ医療従事者にしろ、自分たちが手にしている公的サービスの本来の価値が十全に評価されていないと考え、ならばとそのサービスの価格を勝手に設定しなおし、(あくまでも彼らの考える限りで)適切な場所に適切な速度で届くように個人間で取引する。そのサービスを確実に、あるいは早く手に入れたい人は、提示された額を払えるのであれば払ってしまう。そこには経済的な合理性がなくもない。それでなんとかうまく回っている部分も確かにある。だが公的なサービスというものは、ほうっておくとそうした「経済的な合理性」に飲み込まれてしまうからこそ、きちんと整備してそこから引き離しておかないといけないのじゃな?

どうしてそんなことを考えたかというと、あまりカザフスタンの事情を別の宇宙のことのようにとらえてもいけないと自らを戒めたというか、一度できあがってしまった仕組みを人ひとりの力で変えることはほとんど不可能事に近いのだからシステムに隙があれば突こうぜ、という駄目ライフハックカザフスタンでも日本でも発生し得るよなあと思いながら読んでいたからである。まあ、資本主義経済下でものを売り買いすることと、公的な財産を勝手に私有して取引の材料とするのとでは天と地ほど違う(そもそも後者はカザフスタンでも犯罪だ)し、本書に出てくる教育関係の腐敗などを見ると、正直日本はここまでではなくてよかった、という安堵も感じてしまうのだが。

ドス禁

以前家族から「ドストエフスキーソ連でどのように読まれていたのか」と問い合わせがあった。そういうことは私でなく当事者であるドストエフスキーソ連に問い合わせるべきだ。

どうしてそんなことになったのかというと、SNS上で「ドストエフスキーソ連時代禁書だった」という前提で発言をしている有名な物書きの方がいたからだそうなのだが、追っていくと、日本語版のWikipediaドストエフスキーの項目に、次のような記述があることが分かった(【要出典】の注記があり、2023年10月24日時点でも未修正)。

ドストエフスキー作品の多くは、革命的思想を宿したものが多かった。ロシア帝国に代わったソビエト連邦において、1924年から1953年までのスターリン体制下では『貧しき人々』以外の殆どの著作は発禁処分を受けていた。1956年のスターリン批判後に解禁再刊された。*1

ドストエフスキーがいつどの程度愛読され、あるいは冷遇されていたのかを私は知らないが、少なくとも彼ほどの作家を完全に「発禁」にするのは、相当な努力を重ねても難しいだろうというのが常識的な判断だ。Wikipediaを鵜呑みにして、ドストエフスキーソ連時代にまったく読まれなくなっていたということを信じる人は稀だろう。そのうえ、そもそもそんなのどっちでもいい、という人が大半だろうから、以下に書く話は全体的にぬるめの温度感のどうでもいい話、そんな前提に乗って話を進めると、まずドストエフスキーソ連時代に読まれなくなるとすればそれは「革命的思想を宿し」ていたからではなく、むしろ反革命と名指されるからではないかと思う(「IT革命」くらいのノリで革命と言っているなら話は別だが)。

ただ「読まれていたはず」とだけ言っていても根拠にならないし、ソ連時代に冷遇された事実があったのは確かだろうと思ったので、関連情報を探して広大なネットの海の浅瀬をうろうろしていたところ、「ソ連史の神話」というウェブサイト内に「禁じられたドストエフスキー」(ロシア語)という記事を見つけた(https://wiki.istmat.org/%D0%BC%D0%B8%D1%84:%D0%BD%D0%B5_%D0%B8%D0%B7%D0%B4%D0%B0%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B4%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9)。

おもしろいのは、こんな項目が立てられるということは、ロシア人もまた「ドストエフスキーソ連時代禁書だった」ということを事実として信じている場合がたまにあるということだ。たとえばとあるラジオ番組では「フョードル・ミハイロヴィチ自身も、ソ連作家が最初の大会ですでに宣言されていたように、現代の汽船から放り出された。その後、彼は長い間出版されなかった。そののちはじめてドストエフスキーの版が出たのは、第二次世界大戦後だった」といったような発言がなされたと指摘される。

それに対しこの記事では、1930~50年代(つまりスターリン政権下)に、ドストエフスキーの著作が様々なパッケージで、10000~300000部程度の振れ幅で出版され続けていたことや、1935年にゴーリキードストエフスキー『悪霊』の出版に言及した記事があること、1965年の教科書にドストエフスキーの項目があることなどを、データや写真をもとに論じて「神話」を解体していく。誰が書いたのかはよく分からないが、Wikipediaよりは信用できそうな趣がある。これだけ見ていると、「長い間出版されなかった」などという勘違いがどこから発生してきたのかが不思議なくらいだ。

https://wiki.istmat.org/_detail/%D0%BC%D0%B8%D1%84:dostoevsky_besy.jpg?id=%D0%BC%D0%B8%D1%84%3A%D0%BD%D0%B5_%D0%B8%D0%B7%D0%B4%D0%B0%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B4%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9

すでに述べたとおり、ソ連時代にドストエフスキーが読めた、なんてことは検証するまでもなく自明な気もするのだが、後代の人間にとってみると、そういう「言うまでもなくあった過去」の存在証明って空気をつかむような話で、明らかにそれに反する、デマみたいなそうでもないようなふわっとした言明があった際に、とっさに否定しきれないことがあるのだなとは今回の件で思った。Wikipediaの記述「1924年から1953年までのスターリン体制下では『貧しき人々』以外の殆どの著作は発禁処分を受けていた」というのも、いやに具体的なので、おそらくこれを書いた人にとっては何か信じるに足る証拠があったのだと思うが、それがなんなのかはまさに「要出典」のため分からない。どこからこういった話が出てきたのか、気にはなる。

ドストエフスキーソ連時代禁書だった」と述べる人はおそらく、デマを流そうなどという気はさらさらなく、ドストエフスキーソ連期に今のような読まれ方はされていなかったらしいということはなんとなく聞き知っていて(実際さっきのゴーリキーの文章にも、1935年『悪霊』の出版に抗議した人々がおり、2巻本の第2巻は出版されなかった、という文脈がある)、そのうえで「作家って体制に弾圧されるくらいのほうが箔がつくんじゃないか」というイメージに尾鰭を与えて泳ぎ回らせているのだと私は邪推するが、私もそういう意味では(特に酒の席などで)適当なことをよく言って後悔しているので、本当はみな知識のひけらかし合いなどやめ、中州に屯する鳶が器用に腰をくねらせ風に乗る様子をぼんやり見つめているほうがいいのである。秋が深まってまいりました。

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読むな!読め!甦れ!

10年くらい昔の話、「世界文学」というタームが界隈で地味な流行の兆しを見せていた(?)とき、当時の私は「翻訳」とか「越境」とかそういった問題系にあまり興味がなかったので、「またなにかメリケンから思想の黒船が来とるワ、開国シテクダサイ」と斜に構えてスルーしていた。無知ゆえの頑迷は恥ずべきものと認めるが、そうした態度を決めるに至ったもうひとつの理由として、当時受けていた授業でアメリカ文学の先生が「アメリカは移民が多く、彼らが英語で自身の文化、ルーツを表現するようになっているので、今のアメリカ文学を読むことで世界を知ることができる」という趣旨の発言をしていて、なるほどここでいう「世界」とはそういうものか、とうっすら反感を覚えたということがあったのも、いまだに記憶している。

その先生の名誉のために言うと、授業自体は全体を通して大変刺激的だったし、そうした発言は、ふだん文学を読まない学生に向けた方便として発した面も大いにあったのだろうと、今にして思う*1。このたび、半ば必要に駆られて『「世界文学」はつくられる』を読んでみて、当然のことながら「世界」という言葉が歴史的に包摂してきたもの(こなかったもの)について批判的に考察するためにわざわざ「世界文学」という概念、システムがクローズアップされているのだから、偏見よくない、よく見るよろし、といった気分になっている。

ただもちろん、先の「アメリカ文学≒世界文学」的な見方は、アメリカの中にはある種のプライドとしてたしかに存在するもののようで、その点については本書にも言及があった。

アメリカ文学者のワイ・チー・ディモック(1953-)は、スピヴァクと同様、収奪的なグローバリズムと結びついた「世界」ではなく、文化多元主義やポストコロニアリズムの思想をくんだ「惑星」を想定し、既存のアメリカ文化のカノンに対して、人種的、階級的、性差的な制約や制限をもうけない広い範囲から作品を収集して「部分集合(サブセット)を作ることを提唱している(そしてディモックによれば移民国家アメリカの文学こそ、世界の多様性をもっとも反映したサブセットということになる)。*2

アメリカやロシア(ソ連)のように、民族的・文化的多様性を自国の特長としてアピールする国の文化に親しんでいると、そうした「多様性」の来歴を問わずにあっけらかんと称揚してしまうことがままあるので気をつけたいところだ、という考えは今も変わらない*3。ちなみに上の議論の流れで、最近ではアメリカのアンソロジストたちの間でも「世界」の捉え方が変わっているという事実の例証として、ドストエフスキー地下室の手記』と石川啄木の『ローマ字日記』が「共鳴(リゾナンス)」しあう作品として並録されているアンソロジーがあるという記述があって、笑ってしまった。啄木のダメ人間ぶりは国境を越える。

このところ、文学や哲学といった人文学分野の学問が、「古典/カノン」とみなされたものをひたすらに「再読/精読」し、そのときどきで流行りの思想をパッチのようにあてがって「アップデート」し、自分好みの結論を引き出したり、あるいは読みの見事さを競うものになっている点をどう考えたらいいのか、という悩み*4もあったので、その点において本書はひとつの指針を与えてくれるものになった。序文では「本書で私は小説(文学作品)をほとんど読んでいない*5」と述べられているのだが、大作家ひとり、作品ひとつに深入りするのでなしに、ひとつひとつは大きな価値がなさそうに見える情報を周到につなぎ合わせていくことで大きな絵図が出来上がっていくという手法には学ぶべきものがある*6。「精読」への無条件の信頼、読書好きが抱きがちな本へのフェティッシュな愛着を突き崩すという意味では、バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』と似た問題意識がここには含まれているのかもしれない。

本には読むべきタイミングというものがあるので、10年前に『つくられる』が出ていたとしても、やはり私はこれを読まなかっただろう。アメリカの流行りなどなにするものぞ、Give me chocolate、という逆張り精神を燃やして食っちゃ寝してきたが、とか言いつつ『遠読』とかは買うだけ買って積んであるので、これを機に読んでみようかな。

*1:「名誉のために言うと…」という表現を使ってみたかっただけで、私が批判したくらいでその先生の名誉が傷つくとは、本当は思ってない。

*2:秋草俊一郎『「世界文学」はつくられる:1827-2020』東京大学出版会、2020年、341頁。

*3:以前読んだ『LAフード・ダイアリー』といった本などには、そういった無邪気さを感じないではなかった。

*4:本文中に書くと間延びしそうだったのでこちらに書くが、この「悩み」とは要するにこういうことだ。たとえば将棋のある難解な局面において、「52銀」とか「77飛成」のような誰もが驚く素晴らしい手を繰り出す(すなわち「読み」を披露する)ことは、将棋というゲームの価値を認めそれを疑わない人にとっては大きな価値を持つものだが、一方で将棋に興味のない人には端的に無価値である。「52銀」や「77飛成」は、こうして意味ありげに並べられた場合、誰がいつ指した手か、ある程度将棋に詳しい人であればすぐにピンとくるレベルで有名な符号なのだが、これを読むあなたがそうでないとすれば、単なる記号の羅列にすぎないはずだ。上記の符号の意味を知るためには、将棋をある程度楽しいと思えるまでに将棋の世界に入り込む以外の道筋はなく、「将棋に価値を認めていないが、知らず知らずのうちに『52銀』から大きな恩恵を受ける」という事態は起こりようがない。これは要するに将棋の指し手というものが、現実世界との間に何の摩擦も発生しない知的遊戯の構成要素でしかなく、将棋盤の上では絶大な威力を発揮した「52銀」も「77飛成」も、盤の外の塵ひとつ払うことすらできないというところに理由がある。将棋の指し手に価値を発見するためにはそもそも将棋というゲーム自体に価値を見出している必要があり、それ以外の場合には指し手に何の価値も発生しようがないわけだが、これに似て、作家や哲学者の提出するテクストをひたすら「再読」し、そこから取り出してきた優れた「読み」に価値を認めるには、前提としてそれらのテクストに「読む」価値があることを受け入れている必要がある。しかし、それでは論点の先取り(価値があるかないかを見定める前に価値を密輸入している)だ。

*5:秋草『「世界文学」はつくられる』、19頁。

*6:「ひとつひとつは大きな価値がなさそうに見える情報」のひとつとして、木村毅という大正期の編集者が出てくるのだが、彼の名前の読みが「き」だと知って驚いた。「き」て。

夢でもしふるえたら 素敵なことね

変な時間に寝ると変な夢を見る。みじめな我々の住む有為転変の世界では常識である。

バスツアーのようなものに参加している。本当は姉と一緒に参加するはずだったが、仲たがいしたのか、私一人で参加している。なぜか出発が夜中だし、行き先がわからないし、周りの客はどうも雰囲気が合わないし、怖い。

唐突にパリについている。目的地はパリだったらしい。最初はまず、どこかデパ地下のようなところで腹ごしらえのようだ。ドンクがあって、みんなそこでパンやピザを買っている。店頭のメニューは日本語併記。床に雑多にパスタなどが並べられており、「本場はこうなんだ」と思う。私はなんとなく食指が動かず、買うかどうか迷っていると、みんな先に動き始めてしまう。私は結局何も買わず、後を追う。売り場ではたくさんビールが売られている。日本のよなよなエールも売られている。いつの間にか現地の子供たちもツアーに参加していて、追いかけっこをしている。彼らのうちの一人に追いつくが、その子が人種差別的な発言をしてきたので、思わず投げ飛ばしてしまう。するとベンチに腰掛けてその様子を見ていた女性が、手近にあるロッカーから箒を2本取り出してきて、剣道の二刀流のような謎の構えで私に殴りかかってくる。私はそれを受け止めて反撃する。このとき私の声が、よくテレビなどでシュワちゃんシルベスター・スタローンの声をやっている人によって吹き替えられている。

そのあと、自分のツアーの本隊がどこにいったのかを探し回る。観光が目的ではなかったはずだが、とはいえ私がいない間にみんながエッフェル塔を見終わっていたらどうしようと少し焦る。路地やバスターミナルのようなところを歩き回り、駅のほうに向かう。すると、次の目的地に向かうらしいツアー本隊と偶然出会ったので、素知らぬ顔で最後尾につく。誰も私がはぐれていたことを気にしていないが、最後尾にいた男性だけが「どちらさまです?」と尋ねてくる。自己紹介する。

夢の中とは言え、いたいけなレイシストや女剣士に暴力をふるっている。強く気高く勇ましく有益な男性性を十全に具備していると自負する私としては、忸怩たる思いである。

昔からときたま、夢でものすごく強い怒りに駆られて怒鳴ったり暴力をふるったりして、起きたとき筋肉が強張ってぐったりしていることがあって、これはいったい何の兆候なんだろうと思いながら生きている。普段からコンビニやファミレスで店員に怒鳴り散らしている人などは、逆に夢の中では湖のほとりで小鳥や蝶やカモシカにやさしく囁きかけたりしているのかもしれない。*1

*1:こんな記事を書いた数日後に今度は「凍った鰻の蒲焼をばらばらに砕き、母親に投げつけて泣く」という夢を見た。助けてほしい。

なぜめぐり逢うのかを、私たちは

この世界には、〈心を14歳に置いてきたおじさんたち〉が生きている。

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〈心を14歳に置いてきたおじさんたち〉は生命力に乏しく、安全な山奥では十分な糧を得ることができないため、ひと気のない夜などに水場や食糧を求めて人里に下りてくるケースがあるが、たいていは追い散らされるか、罠にかかり駆除される。

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そうは言っても、〈心を14歳に置いてきたおじさんたち〉は一目では人間と区別がつかないことも多いため、うまくすると人間社会に溶け込み、たとえば映画館などにたどり着く場合もある。やわらかいシートに腰を落ち着けることに成功した〈心を14歳に置いてきたおじさんたち〉は、ひとときの安らぎを得、それぞれの心の中で、「〈心を14歳に置いてきたおじさんたち〉のためにも世界があって良かったな」とほっとしている。私にはそれが手に取るようにわかる。彼らはわかりやすいからだ。さらに言うと、彼らは「俺も14歳の時に『キスしたくらいで調子に乗らないで』と言われたかった」と思っている。手に取るようにわかる。彼らは善良なふりをして一人前の欲はあるからだ。


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手に取るようにわかる、というのは実ははんぶん嘘で、単純に私が私のことを述べているだけであった。それでももう半分は本当なのは、『アリスとテレスのまぼろし工場』の爆裂な傑作ぶりを伝えるための言葉の可能性は逆説的に、人類が言葉を獲得すると同時に潰え、いまはただその輪郭を愛おしげになぞるほかないからである。

中島みゆきのエンディング曲は良かった。エンディングには米津玄師を起用しておけば丸く収まるだろう、そう考えている人たちは、自らの過ぎ来し方を見やり、ひとりずつ反省の弁を述べてほしい(この世界は本当は丸くなくて歪だということから目を背け、死んだように生きているため)。*1

*1:【追記】あまり批評めいたことを書く気分にならなかったので、註にこっそり書き足すが、劇中で描かれている季節が夏であることを「音」のみで表現できる文化圏って案外特殊だよなあと、本作を見てあらためて気づいた。昔なぜか、日本映画好きで日本語がペラペラのポーランド人と会話をする機会があったのだが、そのとき彼が言っていたことでいまだに印象に残っているのが、「日本の映画ではじめて蝉の声を聞いたとき、最初はカメラが壊れているのかと思った」ということだった。

私の頭の中の白無垢

富山県は入善(にゅうぜん)町に「下山」という地域がある。読み方を「にざやま」という。

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という、などと偉そうに言っているが、そこに「下山芸術の森 発電所美術館」というものがあるという情報を得たときは当然「しもやま」と読むものと思ったので、調べてみて驚いたという経緯がある。

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この美術館を訪ねたのが2か月ほど前。はっきりいって美術館と発電所跡の展望台以外に観光に適したスポットは歩ける範囲内になく、展示自体もごく小さな企画展のみなので、合わせて近くの黒部や宇奈月温泉などを訪ねるでもないと暇を持て余すとは思う。実際持て余していたので、展望台脇にあったカフェでお茶を飲んだ際に店主にこの「にざやま」の由来をそれとなく尋ねてみたが、店主夫婦も最近越してきた若い方のようで、知らない、との答えだった。ほかにも何人か地元の方に尋ねたが、詳しいことを知る人はいなかった。

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「下」を「にざ」と読むなどという習いを、寡聞にして私は知らない。ここで私は思った。これはきっとロシア語の"низ"(ニズ。「下」「下部」の意)から来ているに違いない、と。

成り立ちはこうだ。維新の志士たちの活躍も今は昔、新時代を切り開いた白刃から流れ落ちた夥しい鮮血を、越中の地に降りしきる雪が真白に染め直した頃。彼の地になんらかの理由で逃れてきたロシア人将校が、村の庄屋の美しい娘と恋に落ち、駆け落ちをするに至った。「あの山の下のあたり、『ヴニズー』で会おう」、そう言い残して若き将校は約束の時刻に約束の場所へと向かう。しかしそこで待っていたのは愛する村娘ではなく、計画を聞きつけ怒り狂った父親が動員した村の若い衆であった。そのなかで、ひそかに娘に恋心を募らせていたひとりの若者が、娘の必死の懇願にも耳を貸さず、手にした鍬で将校に襲い掛かったのを皮切りに、憐れなロシア人は娘の眼前で滅多打ちに遭い、命を落とした。ややあって、庄屋にうまく取り入ったこの若者と娘との祝言の夜、胸のうちで凍えきった悲しみを解き放つように、娘は将校の後を追って崖から身を投げた。血染めの白無垢姿の亡骸をその腕に抱き、やっと自分の振舞いの愚かさを悟った庄屋は、せめてあの世でふたりが迷わないようにと、娘が身を投げた山、ふたりの逢瀬の場所となるはずだったその地を「下山=ニズ山」と名付け、残りの人生を後悔と祈りのなかで暮らしたのである……。

ポルトガル語の「オブリガード」は「ありがとう」から、アメリカの「オハイオ」は「おはよう」から来ていると相場が決まっている。ならば海の向こうがすぐロシアであるところの富山県の地名がロシア語由来でもなんらおかしいことはないだろう。そう思って調べてみた。

富山県下新川郡入善町下山発祥。江戸時代に記録のある地名。地名はニザヤマで本来はミサヤマと発音していたと伝える。

name-power.net

あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぜんぜん違う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~まるっきり違った~~~~~~~~~~~~~~~~~~-------------------------------------------zzzz

私が頭の中で書きあげた知られざる日本史の1ページはあえなく破り取られ、事態は振り出しに戻る。しかし、そもそも「みさやま」だったとして意味が分からない。『DEATH NOTE』?

私は悲しくなって図書館に向かった。最初からそうすればよかったのである。

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にざやま 下山<入善町

黒部川扇状地の東部河岸段丘に沿って位置する。正しくは「ミサヤマ」で、みさけ山すなわち低地の意である。郡内下田村をみさだ村と呼ぶ例がある。また一説にはふりさけみるの意味で、見放(みさけ)からくるともいう(越中志徴・入善町誌)。*1

昭和54年時点で完全に調べがついている。すごい。調べるとなんでもわかる。

富山県にはたしかに「下田」と書いて「みさだ」と読む地名もあるそうで、いずれにせよ難読が過ぎるが、実は下山と下田は共通の語源、つまり「見下(みさ)け」らしい。「ふりさけみる」(遠くを仰ぎ見る)なら、かの有名な「天の原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に 出でし月かも」でおなじみだが、なんにせよ、きちんとした由緒のある地名であった。そこに報われない恋の墓標がなくて本当によかった。

 

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*1:角川日本地名大辞典」編纂委員会、竹内理三編著『角川日本地名大辞典 16 富山県』、角川書店、1979、632頁。

恋と愛の天国

映画『人生フルーツ』を見たのは数か月前のことだが、お盆休みに愛知県に行く用事があって、時間があったので、舞台となった高蔵寺ニュータウンに足をのばした。「なんでそんなところに?」と口々に聞かれたが、『人生フルーツ』を知っている人の数はとても少ない。説明に苦労する。私に歯向かうなら目にもの見せてやる、という意気込みで、適当に説明をする。


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『人生フルーツ』という映画については、仲睦まじい老夫婦の理想的なスローライフの記録と見る向きがほとんどだろうし、それはそれでなんの問題もないと思うが、津端修一氏のかつての同僚の証言に混ざる、やや苦々しげな調子も相まって、私個人は戦後左派知識人の奮闘と挫折、社会からの遊離といったテーマの作品として見た。なにはともあれ面白かったから、わざわざ映画の舞台まで足を運んでみようという気になったのだが。

母の友人たちによれば「あんなとこ寂れとるで、なんもないわ」とのことだったが、結論から言うと、この土地が寂れてると言い切れるのは、豊かな町・名古屋に住む者たちの余裕だな、と思った。

名古屋駅からJR中央線に乗り30分。ニュータウンまではそこからバスでさらに10分。駅前にミスドはあるし、中高生から若年層、老人に至るまで、ある程度の人が常に行きかっているし、雰囲気はよかった。DANCE☆MANの言葉を借りるなら、「川が流れ 緑が多いし 都会からも そんなに遠くないし 気に入ってくれるはずさ」という感じである。

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べつにニュータウン自体は観光地でも何でもない、ただの住宅地であるので、住人ではない私が雷鳴とどろくなか目的地もなく歩き回って写真を撮っているのは、かなり怪しい行為ではあった。レンズを向ければそこは即ち他人の家なわけで、あまり褒められた振舞いではなかったかもしれない。とはいえ、住人が退去して棟まるごと閉め切られた様子の建物も実はちらほら見られ、「寂れとる」の一端が見えたのは事実だ。

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幸か不幸か、落日の日本の地方都市の郊外のニュータウンをスパう(※スパイする)ことにもはや何の意味もない、というのは官憲の側からしても同じ認識であったようで、誰も私に関心を払っていなかった。私のほうは私のほうで、他人の家を見に行ったのではなく、ただただ「戦後日本」を見に行ったに過ぎない。思い出しておくれ、素敵なその名を。

それは大きな穴のような

『奈落のマイホーム』。


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昨年、同じく韓国の映画である『なまず』を見たが、そこでもシンクホール(都市部の陥没事故)が重要なモチーフになっていたことを思い出した。日本でも少し前に福岡で大規模な道路の陥没事故があったので、ぜんぜん人ごとではないのだが、とはいえ韓国ではよりポピュラー(?)な社会問題なのだろうか。

佐藤哲也『シンドローム』を映像化したらこんな感じかもしれないと思いながら見ていたけれど、そもそも日本でこうしたものが実写化されるイメージが浮かばない。ゴジラウルトラマンが野や山や町で暴れることを指してパニック映画だディザスタームービーだというなら、それはそうですというほかないが。

タジク人たちはどう生きるか

『ルナ・パパ』が良かった。大変良かったというべきかもしれない。

『コシュ・バ・コシュ』も良かったというべきかもしれない。

時めぐって、私の住む町にもフドイナザーロフ特集が巡回してきたので、上記2作品を見ることができた。町にやってくる紙芝居屋を心待ちにしていたかつての少年少女たちもこうした気分であったろうか。

以前東京でやっていた中央アジア映画祭で『海を待ちながら』は見たことがあったので、これでフドイナザーロフ作品を3本見たことになる。フドイナザーロフ作品を3本も見たことがあるのは、フドイナザーロフ本人を別にすれば多いほうではないだろうか。タジキスタンに関する知識がほぼないので、特に分析とかはしない。印象に残ったことだけメモする。

【ルナ・パパ】

・ヒロインを助けようとして、兄が車を(運転するのではなく)押して小屋に突っ込むシーンは、めちゃくちゃ笑った

・ラストシーンは、なんとなくクストリッツァの『アンダーグラウンド』を思い出した。全然違うけど

・あんがい悲しい話で悲しい

・主人公の女の子(マムラカット)めっちゃかわいいと思いながら見ていたが、『インフル病みのペトロフ家』にも出ていたチュルパン・ハマートワだとあとで気づいた。映画を見ててもまったく俳優の顔の見分けがつかない。そんなことは本質的ではないといって誰か私を慰めてほしい

【コシュ・バ・コシュ】

・ビール貴重。この世界をいつでもビールが飲める世界にしたい

・終盤、ロープウェイの中で主人公2人が睦みあうシーン。流れていく風景の切れ端。美しいと思う

私が見たフドイナザーロフの3作品は、彼が1965年生まれのソ連人でロシアの映画学校を卒業しているということもあってか、基本的にどれもロシア語映画だった。映画そのものの感想からはすこしズレていくが、今後中央アジアなりウクライナなりの文化を日本で受容するにあたって、それが完全にロシア語の影響を脱する日というのは来るのだろうか(べき論というよりは、単なる可能性の問題として)。というか、ロシア語を知らずにタジク語から勉強した人がタジキスタン映画を、ウクライナ語から勉強した人がウクライナ文学を、研究なり翻訳紹介なりし始める人が大勢を占めたときはじめて、「ソ連」という枠組みが文化史のなかで解体されることになるのかもしれないなあとぼんやり考えている。

ただ、ロシアという国家の威信が低下し、それにしたがってロシア語の影響力もまた低減していくことで、日本の教育機関でロシア語が徐々に教えられなくなっていくとしても、そのかわりに新たな教養科目としてウクライナ語なりタジク語なりカザフ語なりキルギス語なりが空位を占めるということにはならず、単純に英語・中国語以外の外国語教育の機会そのものが減っていくだけだろうということも容易に想像がつくので、そんな新世代が生まれる前に地域研究の土壌がやせ細って劇終、かもしれない。『プリンプリン物語』か『献灯使』みたいな世界だ。

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ほんとの日付は秘密だよ

先日見た『ジェントル・クリーチャー』にも出演していた Лия Ахеджакова という女優と誕生日が同じだということを、Facebookで流れてきた投稿を見て偶然知った。知って、なんとなく嬉しかったのだが、誰に伝えたところで伝わるでもない。ためしにここに書いたら、誰にも伝えない伝わらない伝えても仕方のない、わたしの人生の暗い穴から一生出てくるはずのなかったわたしのひとりよがりな感動が、あなたの家の一隅に蜘蛛の巣のように張り詰めたW-iFiの電波伝いにあなたに偶々伝わるだろうか?

御年85だそうである。ハッピー!

 

酔いもせず(する)

変な時間に寝ると変な夢を見る。みじめな我々の住む有為転変の世界では常識である。

① どこかの会社に勤めている。休日出勤をしている。すると、普段から気になっている同僚の女性もまた出勤してくる。髪型がボブっぽくていい。斜め前のデスクに彼女がいることを認識するが、敢えて無視をする。すると彼女は、なにやら仕事用のメモが書かれた付箋を私に差し出すついでに、「この前は普通に話してくれたじゃないですか」とやや残念そうにつぶやく。いつ話したのか、記憶がない。

② 飛行機に乗り込む。すると、隣の席にビートたけしが座っている。ビートたけしは日清のカップヌードルをすすっているが、1,2口食べたところで、私にそれを譲ってくれる。うまい。機中でカップヌードルを食べるとこんなにおいしいとは。

夢の中でビートたけしが食べていたカップヌードルがあまりにうまそうだったので、目が醒めてから、家にたまたまあったカップヌードルを食べてしまった。問題はこれが「ココナッツミルクの濃厚スパイシースープ シンガポールラクサ」味だったことである。なめるなよ。

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やさしい おんな やさしくない おんな そんなの ひとの かって

6月11日で公開期間は終了してしまったが、とある映画配信サイトでウクライナジョージアルーマニアなどの日本未公開映画を配信していて、そのラインナップにロズニツァの未見の作品が含まれていたので視聴した。こういうのは地方住まいの人間には本当に便利で、助かる。ところでいつも迷うのだが、映画の「国籍」って監督の国籍に紐づくのだろうか、それとも撮影場所なのか、使用言語なのか、あるいは出資者なのか。今回の作品はウクライナ、オランダ、ドイツ、フランス、ラトビアリトアニア、ロシアが制作に関わっているそうだが。


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これまで見てきたロズニツァ作品は『ドンバス』以外ドキュメンタリーだったが、今回はフィクション。『ジェントル・クリーチャー』という邦題は、ドストエフスキーの短編小説「やさしい女(Кроткая)」の英訳版の題名から取られていて、もとは映画も小説と同じ「クロートカヤ」という題である 。ウクライナ人が監督だろうが使用言語がロシア語だろうが、とりあえず外国の映画は英語にしておこう、というのはちょっと乱暴ではないかと思う。日本語だと「クリーチャー」という言葉にはまた別の語感がつきまとうし、そもそも「ジェントル・クリーチャー」とだけ言われても何のことかさっぱりわからない(サカルトヴェロ映画の『ビギニング』のほうも見たが、これもなぜ英語なのか。原題はグルジア語で「始まり」ではあるみたいだが*1)。「非英語圏映画の安易なカタカナ英語邦題を許さない僧兵集団」がいるなら、ぜひここに来て懲らしめてもらいたい。

「非英語圏映画の安易なカタカナ英語邦題を許さない僧兵集団」のイメージ

少し前に「死ぬまでに観たい映画1001本」をすべて見て話題になっていた映画フリークの方が、2019年に『ジェントル・クリーチャー』をすでに見て感想を書いておられ、「ちょっ早(ぱ)や……」と感じ入ったが、たしかにこの方のおっしゃる通り、ドストエフスキー「やさしい女」の風味はどこに行ったの?という感じで、カフカ『城』のほうにより近いのではないかと思わせる作品だった。

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本作のストーリーは、主人公の女性が、刑務所に収監されている夫に送った差し入れの品が理由もわからないまま返送されてきたために、現地に直接届けに行こうとするところから始まる。彼女はたどり着いた先の刑務所の受付でも荷物を突き返され、それでもあきらめて帰りの列車に乗る気にはなれず、夫へアクセスする手段を得るため町中の伝手をたどって右往左往する。これだけを聞くと、いったい何がおもしろいのかという反応が返ってきそうだ。ひとつには、刑務所を軸に成り立っているロシアの地方の小都市の退廃を眺める、という露悪趣味的なおもしろみはあるかもしれない(「ロシアの地方の小都市の退廃を眺めてぇ~!」という需要がどこかにあるのかは知らないが)。しかしそれだけでなく、随所にこの物語をカフカ的な不条理劇へと変貌させる鍵のようなものが仕込まれている。

たとえばその夫についての情報がほぼ明かされない点。最初主人公は夫が殺人の罪で投獄されていると述べているが、そのあと複数の人間に対して「なにも(していない)」「誰も(殺してない)」と返答するシーンが出てくる。もちろんセンシティブな情報を見ず知らずの人間に明かす義理がないというだけのことではあるのだが、罪状を偽るでもお茶を濁すでもなく「なにも」と言い張るのはいささか奇妙である。主人公が駅で荷物検査をされたあとに警察にサインをさせられるよくわからない調書には「テロ行為が原因で逮捕」云々という文言が出てくるのも不思議だ。いったい主人公の夫はどんな名前のどんな人なのか?かつて何をしていて、何をしでかした人なのか?本当に罪を犯したのか?そもそも夫は本当に目指す刑務所の中に存在しているのか(いつの間にかほかの刑務所に移送されてるってこともある、という登場人物の何気ない発言も気を引く)?本作の目的にして終着点であるはずの「夫」という存在は、主人公がただただそこに吸い寄せられていく〈真空〉に過ぎないように思えてくる。「夫に荷物を渡す」という指示だけをプログラミングで書き込まれたかのように、ほかにほとんどなんの意図も感情も示さない主人公の存在も、実はずっと不可解なのだ。

ロシア語圏でも当然のようにカフカとの類似は指摘されていて、監督本人にも質問が投げかけられている。このインタビューではまず、ドストエフスキー「やさしい女」について、当初シナリオを書き始めたときはこの短編の筋を、ヒロインが身を投げるというラストだけを変更してある程度までは踏襲する予定だったが、それが「(物語の)空間に対する暴力」だと感じて、いっそ「やさしい女」のストーリーからは離れることにしたと述べている。つまり、「やさしい女」の設定を借りてくるなら、必然的にヒロインは自殺という帰結に至るはずなのに、そこだけを変更するのは不誠実だと気づいたということだろう。

イデアそのものが変わりました。これは国家という機械の圧力を体験するひとりの人間のストーリーではなく、どのように権力の構造が形づくられるのか、そしてその構造がそこに住む人たちとの関係においてどのような振る舞いを見せるのかについての物語なのです。市民に対してというより、臣民に対しての態度、と言ったほうがよいのでしょうね。これがこの映画の主題です。直接的にはなく寓意的に語られていますし、芸術としての形式をまとってはいますが。

どうもロズニツァは「やさしい女」の、若く純粋なヒロインの精神が、より立場の強い、自己愛の塊のような人間に押しつぶされていくという悲劇にフォーカスする予定だったものが、それを逆から見た「他人に対して権力を及ぼすことを自分に許した人間はどのように振る舞うのか、そこにはいったいどういう構造があるのか」というテーマに乗り換えることにしたようだ。そうして「ジェントル・クリーチャー」のストーリーも舞台もまるっと変更し、より寓意的な物語に書き換えていったらしい。

カフカは世界の文化全般に非常に大きな影響を与えたと思います。なぜなら、人がこうした不条理な状況に陥るとき、ここで映画『アウステルリッツ』に話を戻しましょう、なぜならまさにこうした場所において不条理な状況は発生するからですが、そうしたとき人は即座にカフカの寓話を思い出すものだからです。カフカに「流刑地にて」という短編がありますが、そこでは感傷的な主人公、そうつまりカフカの登場人物が皆そうであるように、その人物がそこで感傷的であることがどれほど場違いであろうと、そんなことには関係なく彼を感傷的な主人公と呼びますが、彼は新しい拷問器具を見せられ、それがどのように作動するかを聞かされます。この話を思い出したのは、自分がブーヘンヴァルト強制収容所の火葬場に向き合っていることをふと意識したときです。解放されたブーヘンヴァルトの写真をはっきりと覚えています。そこには殺された人々の体が横たわり、焼却の準備がされていました。そのひとつひとつを私は見比べることができた。そんなところで自分はどうあるべきかなんてわかりません。つまり、どう振る舞えばいいのかわからない、それが一体何なのか理解できない、そんな場所があるんです。そしてカフカは、そういう場所の周りに寓話を組み立てていく。私はこれをある種の「裂け目」ようなものと考えています。特定の行動規範や人生の語り方というものがあるのに、突然そのナラティブにまるで収まらない裂け目にぶつかるときのそれです。

今回の『ジェントル・クリーチャー』、ドキュメンタリー作品『アウステルリッツ』、そしてカフカの『流刑地にて』には、監獄・収容所という共通点が存在する。ロズニツァがそこに見て取っているのは、人間の持つ常識や規範のようなものがすべて吸い込まれてしまうような「裂け目」だという。権力とはそれ自体「裂け目」、空白であり、善なるものを無化する力であるという見立ては、なるほどストーリーとしては遠く離れてしまったけれど、ドストエフスキーの「やさしい女」と地続きに見える。

本作は、そうした「裂け目」にひたすらに主体性を吸い取られていく人々を描いているものであると言ってもよい。本作がカンヌで上映されたとき、最終盤に20分以上続く、主人公が見る夢のシーンが物議を醸したそうだが、このシーンについて監督本人が(すこし多弁すぎる感もあるが)解説をしている別のインタビューがある。

映画のこの部分で何が起こるのか、分析してみましょう。これは夢の中の出来事です。彼女はどこか謎めいた場所、古めかしいお屋敷に連れてこられます。屋敷の中には円柱付きの会館がある。これは「組合の家」*2の円柱の間を参照してます。そのあと主人公は、彼女についての証言であったり、彼女に対するなんらかの審理であったり、あるいは請願であったりを目にすることになります。何を模しているのかはよくわからないけど、なんらかのアクションを。なにはともあれ、結果としてある評決が下され、(夫との:原文註)面会の権利が彼女には与えられる。さてこの劇の最中に非常に重要なことが起こります。この儀式を取り仕切る将校、刑務所の所長が、主人公が映画の中でずっと対立してきた権力とは何かを定義するのです。彼が言うのは至極単純なこと、これはあなたがただ、あなたがたの支えがなければ私は支配できないのだ、ということです。これらすべてのことをやっているのはあなたなんです、私じゃないんですよ、と。そして彼らは、主人公が夫に会う権利があることをさも親しげに彼女に伝え、彼女を処刑に向かわせるのです。楽しそうに、微笑みながら、偽善的に、彼女をこんな地獄に送るのです。ここにはとてもシンプルな思想があります。私たちはこういう考え方をしますし、それはどこにでもあるものです。要は、悪い暴君、悪い上司というものが存在するという考え方ですね。ほら見ろ、同志スターリンは悪いやつだった。ほかのみんなは不幸だった、犠牲者なんだ。ほら、同志ヒトラー、彼は悪かった、ほかのみんなは犠牲者だ。そして、私たちはそれにあっさりと同意してしまう。私は、これは完全に間違っていると思うので、別のコンセプトを提案します。ヒロインを取り巻く人たちは皆、当局が彼女に何をするかについて、すべて責任を負うのです。つまり、私はこの映画で何をしたんでしょうか?映画が終わる20分ほど前に、映画のテーマをまったく違うものに変えてしまったのです。それから、このアンチ・テーマを追加で持ち続けながら、映画のテーマ、ヒロインの運命に立ち戻りました。この宙返りこそが、私が最後の25分間で行ったことです。 

「処刑に向かわせる」というのは、言われて初めてラストシーンってそうなの?と驚いた(今もってよく呑み込めていない)が、ともあれ、権力というものについてイメージする際、人は大体「中心」にどっかり鎮座する権力者と、それ以外のいわば「周縁」的な存在とを切り分けて考えたがるという指摘はその通りである。だがロズニツァの考えるところによれば、「あなたがたの支えがなければ私は支配できないのだ」と会合の参加者に媚態を振りまく権力者の空疎さを埋めるのは実は周りの取り巻きで、彼らこそがその中心を中心たらしめている。まあ、いかにも現代思想っぽい発想ではあるが、納得感はある。刑務所の最寄り駅に降り立った主人公を乗せる白タクの運転手は、「俺らのところじゃ刑務所ってのは聖地なんだ」と、刑務所の存在に感謝しながらおしゃべりを続ける。老子の「三十の輻は一轂を共にす。其の無に当たりて車の用有り」じゃないが、内部がどうなっているのか誰にもわからない強大な「空虚」を中心に抱えていればこそ、町の経済が、世界が、まがりなりにも回転を続けている、このあたりも非常に『城』的である。権力の周りに群がる人間が権力の周りをぐるぐると回り続けること、それこそが権力の駆動力の源であり、彼らこそが権力のエンジンとなる。

上に説明してきたような抽象的な権力論を、監督はソ連・ロシア・ウクライナ的な文脈にのみ押し込めておくつもりはないだろう。とはいえ、本作がどこの国のどんな文脈にも通じる寓話としてのみ語られることもまた不自然だ(「カフカ的」という言葉は説明としては便利すぎる)。本作は基本的にロシア、ソ連という固有名から逃れられない。たとえば先述の夢のシーンは、アブラゼ『懺悔』が見せた独裁者の滑稽かつ悪魔的なイメージに雰囲気としては似通っていたし、次々と降りかかる災難という意味では、ズビャギンツェフ『裁かれるは善人のみ』のヨブ記を下敷きにした神話的空間と根っこのところで響きあっているとみなすことも可能だろう。それでもやはり(『懺悔』がスターリンという一個人の生から、『裁かれるは…』がロシアの地方都市の陰鬱さというリアルから、それぞれ切り離されはしないように)本作の基盤ないし規範はリアリズムに置かれている。レーニンの彫像やらジェルジンスキー通りやらに代表されるソ連的表象は、ロシア社会には今もって普通に残存しているものだし、郵便局員や刑務所職員や警察官の不愛想で乱暴な対応、法に仁義が優先するギャングたちの世界観、人権活動家への陰湿な嫌がらせ、それもロシアの現実の一端である(もっとも、刑務所職員に会ったことはないしニュースでも見ないので、どんな人たちかは知らないが)。本作で次々と主人公の上に降りかかる災難、理不尽は、たしかにひどい話ではあるのだが、多少なりともロシア社会というものを経験したことがある人であれば、(もちろん誇張されている部分が無きにしも非ずだとしても)ロシアでなら起こりそうだなと思わせるリアリティを持っている*3

ドストエフスキーが、物理的にはリアルな時空間で物語が進む「やさしい女」に「幻想的な物語」という副題を添えたのは、物語空間で起きることがファンタジックだからというより、物語の描き方そのものが実際にはありえない、主人公の独白をすべて近くにいて書き留めていたとしたらこんな感じだろう、という空想のもとに書かれた作品だからであった。もちろんそんなことを言い出せば、あらゆるリアリズム小説は幻想譚である。南米で生まれた奇妙奇天烈なマジックリアリズムが、実は南米の現実を研ぎ澄まされた目で観察するところから生まれたのに似て、ロシアにおいては「今ここ」の現実を執拗にトレースすることが、即ち現実から遊離した不条理を映し出すことになってしまうのではないか。そういった意味では本作は、リアリズムであるがゆえにカフカ的な不条理が生まれている、そんな作品だと言えるだろう。そういえば、主人公が夫に持っていく差し入れ品の中にあったコンデンスミルクの缶詰は、ソ連の矯正労働収容所では囚人たちにたいそう重宝されていたことがシャラーモフ『コルィマ物語』に描かれている。今でもロシアだとそれが定番なのかどうか、ちょっとわからない。ただ、これもまた「ソ連的な社会の残滓」の比喩であると同時にロシアの現実の描写であるのかもしれない。主人公の夫が本当に「なにもしていない」のだとして、「なにもしていない」人間が次々と「裂け目」に吸い込まれ意味もなく消し去られていく時代の周りを、人はまた途方に暮れながらうろうろしている。

ブレッソンの『やさしい女』が原作にそれなりに忠実だったのとは対照的だが、「やさしい女」を読んで出力されるのがこれだとするなら、ロズニツァの人生のチューニングはかなり独特である。個人的な好みだけで言えば『ジェントル・クリーチャー』に軍配を上げたい。なにがドミニク・サンダだ、若い女をちょっとエッチにかわいく撮ってる場合か。若い女をちょっとエッチにかわいく撮ってる映画を許すな。

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ドミニク・サンダで思い出したが(?)映画の作りとはまた別のところで印象深かった点を述べると、親切なふりをして主人公に近寄ってくるジンカという女性を演じた女優の迫力である。映画の中では、はっきり言ってどこからどう見ても美人とは言えず、ただただその醜悪さのみが放射されるようなキャラ造形をしているのだが、このマリーナ・クレショヴァさんという女優のWikipediaを確認したところ、短く刈り込んだ白髪でビシッと決めている姿はなかなか格好よく、女優の変わり映えってのはすごいものだと印象深かった。俳優たるものこうであってほしい。無知ゆえ全然知らんかったが、ほかにもセレブレンニコフの『生徒』『LETO』『インフル病みのペトロフ家』をはじめ、いろいろ出演している有名な女優さんのようである。

クレショヴァ氏演じるジンカは、その迫力にふさわしく物語の重要な場面で印象的な役割を果たすことになるのだが、実は主人公が最初、自分の家の近くでバスに乗っているときに、乗客たちが最近起こったある殺人事件に関わっていた「ジンカ」という女性について奇妙なうわさ話をしていた。この会話の中でわざわざ「この辺にジンカなんて女は一人しかいない」と断っておいて、遠く離れた刑務所の町で同じ名前の女性を登場させるというのもまた不思議な仕掛けだ。登場人物のひとりが終盤の夢のシーンで読み上げる詩がドストエフスキー『悪霊』のレビャードキンの詩だったりもするようだし、ほかにも気づいていないだけでそういった仕掛けが多く隠されているのかもしれない。ストーリーがシンプルなわりに、ある種スノッブな読解を誘う建付けになっていて、そのあたりがこれまでのロズニツァ作品に比べて本作を楽しめた理由だと思う。

ところで『ジェントル・クリーチャー』を見たあと、この映画にどこか「やさしい女」と繋がるところはあったか?と思って、あらためてドストエフスキーの原作を本棚から引っ張り出していた。そしたらこれが爆裂傑作で、映画の印象がどこかに吹っ飛びそうになってしまっていたのだった。文学が人格の陶冶に役立つなどという謳い文句をもはや誰も信じなくなっている昨今、ドストエフスキーはかろうじて今も教養としての地位を保っており、ときには早熟な中高生が10代で5大長編読破しちゃいました的なカマシを入れるなどしており、私もかつてはそういった人々に憧れてわけもわからず一生懸命読んだものであり、しかし今この歳になってドストエフスキーを読み返してみると、10や20かそこらの若人がこれを読んで、この緻密に描き込まれた、喜怒哀楽に分類されない無数の感情の粒子の重なりを十全にとらえ得るものだろうか?文学作品とはただ読むべきではなく、「読むべき時期」に読むべきものなのではないか?と、深く考え込まされてしまった。もちろん「この本は〈今・この・私〉だけを目がけて書かれたのだ!」と、老若男女どんな人間にも思い込ませてくれる作品というのは、それだけで名作の資格を持つのである。次また35年後くらいに「やさしい女」を読んだらどう思うのか、楽しみにしておきたい。生きてれば。

【本稿の結論】「やさしい女」を読め。

*1:『ビギニング』については今回特に感想は書かないが、一点だけ。これは『ジェントル・クリーチャー』もそうなのだが、女性に降りかかる災難のテンプレートとして非常に激しい性暴力のシーンを導入している。似たような描写を続けて見せられたからかもしれないが、これは私には安易なものに感じられた。「安易」という言葉を選んだのは、これが政治的な観点からの批判というより(それがないわけではないが)、「災難」というものに対しての想像力が凡庸に過ぎることへの不満だからである。

*2:(モスクワ中心部赤の広場から間近にある、1780年代に建てられた邸宅。ソ連期にモスクワ労働組合中央議会が置かれていたため、今の名で呼ばれる。

*3:上に紹介したnoteの記事では、主人公が降り立つ「オトラードノエ(Отрадное)」という駅名が、英語では「joyful」を意味し、「そんな駅名はない」ことを以て、この映画が「"リアリズム"と"メタファー"の映画ではなく徹頭徹尾"メタファー"の映画」であることの根拠としているが、まず事実として当該の地名はロシア各地に存在するし、なんならモスクワの地下鉄駅のひとつに「オトラードノエ」駅はある。むりやり日本語に置き換えれば「喜田」みたいな地名なわけで、そこまで不自然さは感じない。もちろん、刑務所のある駅が「喜田」駅であることがわざわざ大写しにされている点は、映画芸術としては意味があることだろうとは思うが。完全に余談だが、2012年に短期間モスクワに滞在していた際、間借りしていた家の最寄りの地下鉄駅が、メトロの路線最北端の終着駅アルトゥーフィエヴォというところだったのだが、そのふたつ前の駅がこのオトラードノエだった。だから「次の駅は~、オトラードノエ~」というアナウンスは、なんとなく耳が記憶している。兵役めんどくせえと笑っていた家主の息子、元気かな。